2017年05月03日

エゼキエル書146 主の栄光の帰還(エゼキエル書43章1節〜19節)



 御使いは、エゼキエルを神殿に案内し、その見取り図と正確な寸法を提示して見せました。その順路は以前にも書きましたが、もう一度ご覧ください。

 正面玄関→階段→通路→北門→南門→南門から内庭へ、(エゼキエル書40章6節〜43節)
 東門→北門→神殿の玄関の間→本堂へ。(41章1節〜4節)
 北門を出て、祭司の間を見る。(42章1節~14節)
 神殿の東門に戻る。(43章1節~12節)

 今日は、エゼキエルと御使いが神殿の東門で見るまぼろしについて語られています。

 彼は私を東向きの門に連れて行った。(エゼキエル書43章1節)
 すると、イスラエルの神の栄光が東のほうから現われた。その音は大水のとどろきのようであって、地はその栄光で輝いた。(2節)

 東の門は、神殿の正門です。かつて、主はここから、出て行かれたのです。(エゼキエル書10章18節、11章23節) 
 ふたたび、主の栄光が東の方から現れたのは、主が神殿に帰還されたことを意味しています。その物音が、「大水のとどろきのようであった」というレトリックは、その荘厳さを形容していると思われます。(同1章24節)

 私が見た幻の様子は、私がかつてこの町を滅ぼすために来たときに見た幻のようであり、またその幻は、かつて私がケバル川のほとりで見た幻のようでもあった。それで、私はひれ伏した。(3節)
 主の栄光が東向きの門を通って宮にはいって来た。(4節)
 霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、主の栄光は神殿に満ちていた。(5節)

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 ある人が私のそばに立っているとき、私は、神殿からだれかが私に語りかけておられるのを聞いた。(6節)
その方は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。(7節)

 この場面は、主の帰還、そして、再び神殿に臨在しておられる様子が語られる。いわば、イスラエルの回復のクライマックスの場面です。
 御使いに連れられて、エゼキエルは神殿の前にいます。主は、イスラエルに神殿の場所の意味を語っておられます。
 主の玉座のある場所である神殿を二度と汚してはならないと、主は戒めておられるのです。

 彼らは、自分たちの門口をわたしの門口のそばに設け、自分たちの戸口の柱をわたしの戸口の柱のかたわらに立て、わたしと彼らとの間には、ただ壁があるだけとなり、彼らの忌みきらうべきわざによってわたしの聖なる名を汚した。そこでわたしは怒って、彼らを絶ち滅ぼした。(8節)

 かつて、イスラエルの民が、どのように聖所を汚したかが、なぜ、主が民や王を取り除かれたか、語られた後、主は、約束して下さいます。

 今、彼らにその淫行や王たちの死体をわたしから遠く取り除かせなければならない。わたしは永遠に彼らの中に住もう。(9節)







posted by さとうまさこ at 10:27| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする