2017年05月09日

エゼキエル書152 祭司の相続地――神(エゼキエル書44章27節〜31節、レビ記18章20節21節)



 聖所で仕えるために聖所の内庭にはいる日には、彼は罪のためのいけにえをささげなければならない。――神である主の御告げ――(エゼキエル書44節27節)
 これが彼らの相続地となる。わたしが彼らの相続地である。あなたがたはイスラエルの中で彼らに所有地を与えてはならない。わたしが彼らの所有地である。(28節)
 彼らの食物は、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえである。イスラエルのうちのすべての献納物は彼らのものである。(29節)
 あらゆる種類の初物、あなたがたのあらゆる奉納物のうちの最上の奉納物は、すべて祭司たちのものであり、あなたがたの麦粉の初物も祭司に与えなければならない。あなたの家に祝福が宿るためである。(30節)
 祭司たちは、死んだものや裂き殺されたものはすべて、鳥であれ獣であれ、食べてはならない。(31節)

 祭司に対する規定が続きます。今回は、彼らの報酬です。12部族の内、11部族には、相続地の分配がありましたが、レビ族だけは、相続地がありませんでした。主ご自身が、彼らの相続地でした。平たく言えば、祭祀全般、神殿の奉仕のすべての仕事をすることによって、報酬を得るわけです。報酬は、民からの十分の一でした。それは、レビ記に置いて定められ、イスラエルの律法として行なわれてきたのです。

 主はアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちでなんの割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。
 さらに、わたしは今、レビ族には、彼らが会見の天幕をするその奉仕に報いて、イスラエルのうちの十分の一をみな、相続財産として与える。(レビ記18章20節21節)


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 ただ、ここで語られているのは、未来の神殿、(千年王国における神殿と言われています)のことです。イエスの再臨の後にまた、神殿があるというのは、さとうにとって、理解が難しい所もあります。キリストは、ご自身、神であられると同時に、神殿であり、聖所であり、大祭司であり、いけにえとなってくださって、旧約における祭祀儀礼を廃止して下さったと考えるからです。

 しかし、未来の神の国にもさまざまな段階があるようですから、ここで、もう一度、神殿礼拝の原型を確認しておく意味があるのかもしれません。先にも引用させていただいた、空知太キリスト栄光教会の銘形牧師のHPでは、それを「踏み直し」という言葉で、要約しています。

「牧師の書斎」
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E3%80%80%285%29%20%E4%B8%BB%E3%81%AE%E5%AE%AE%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%AE%9A%E3%82%81

 大切なのは、神ご自身と世俗の営みとは、截然(せつぜん)と区別されなければならないということかもしれません。聖なるものに近づく者は、いかに聖でなければならないかを改めて命じられているとも言えます。
 
 ここからは、とくに個人的な意見ですが、御国では私たちは神の御許で永遠に生きると約束されているのですから、たしかに、アダムとエバの過ちを再び行わない、罪を犯さない、その象徴として、未来の神殿のまぼろしを見せられているのかなとも思います。






posted by さとうまさこ at 10:48| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする