2017年05月14日

エゼキエル書157 相続地の相続について(エゼキエル書46章16節〜18節)



 神である主はこう仰せられる。もし、君主が、贈り物として自分の相続地を自分の息子たちに与えるなら、それは息子たちのものとなり、それは相続地として彼らの所有地となる。(エゼキエル書46章16節)
 しかし、もし、彼が自分の相続地の一部を贈り物として奴隷のひとりに与えるなら、それは解放の年まで彼のものであるが、その後、それは君主に返される。ただ息子たちだけが、相続地を自分のものとすることができる。(17節)
 君主は、民の相続地を奪って彼らをその所有地から押しのけてはならない。彼は自分の所有地から自分の息子たちに相続地を与えなければならない。それは、わたしの民がひとりでも、その所有地から散らされないためである。」(18節)

 ここには、神からいただいた相続地の相続にたいしての決まりが書かれています。人はなからず死にますから、もっているものを財産分け・遺産としてだれかに譲ることになります。ただ、この預言が、解釈されているように千年王国だとすると、また話が違います。千年王国では、人はもう永遠の命を得ていて死なない者となっています。「嫁ぐこともめとることもない」(マルコの福音書12章25節)と言われているのですから、子が生まれるのもあり得ないことです。
 ここはむしろ、捕囚から開放後のイスラエル王国について言及されていると考えてもよいのではないでしょうか。

★★★★★

 イスラエルが、アッシリヤやバビロンなど、外国に滅ぼされたのは事実ですが、神の目からご覧になったら、その原因はイスラエル人自身にあったと言えます。偶像礼拝で外国の神を持ち込んだことはもちろんですが、本来神からいただいた相続地を、神の定めたように正しく相続して行ったとはいえないケースが多かったのでしょう。
 神のお定めになったこととは、民の氏族の名を消さないことです。レビラート婚のような今の常識から見ると、不合理な制度も民の家を存続させ、相続地を消し去らないという工夫だったのです。
借金や出稼ぎで土地を失う者がないように、ヨベルの年が定められています。(レビ記25章10節~16節) そもそも永久に所有権(使用権)が移るというような土地の売買は禁じられているのです。これも、今の時代では、通用しません。銀行が抵当に取った土地を50年で返さなければならないなら、銀行業は成り立ちません。
 なにがあっても、土地は代々同じ氏族に継がせなければならないというのが、神の御意志でした。

★★★★★

 レビラート婚の例としては、聖書は、ルツ記を残しています。
 不法を行なって、土地を奪った悪王の例として、アハブの話があります。(T列王記21章~24節) 自分の家の前のナボデのぶどう園を手に入れるために、アハブとその妻イザベラは、ナボデを捕え、嘘の証人を立てて有罪にし、殺してしまいました。その不法なやり方は、預言者エリヤによってその罰が宣告されています。(同19節)

 王が息子に多くを相続させたいと願っても、他人の相続地を奪って与えないようにと、神は改めて命じられています。
 奴隷に与えた土地が奴隷が自由人となるときには主人に返さなければならないというのは、所有者といえども、ほかの者に土地を譲渡してはいけないからです。奴隷の身分である間は、主人の所有物、ある意味で家族の一員ですから、その範囲で所有権の移動があったと見るべきなのでしょう。






posted by さとうまさこ at 08:51| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする