2017年05月17日

エゼキエル書160 いのちの水の物語(エゼキエル書47章9節〜12章、ヨハネの福音書4章)



 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水がはいると、そこの水が良くなるからである。この川がはいる所では、すべてのものが生きる。(エゼキエル書47章9節)

 聖書では、水はとても大きな意味を持っています。生理的科学的な観点から、生物には水が不可欠だから、当然かもしれません。旧約聖書の族長時代(アブラハム、イサク、ヤコブの時代) 彼らが、移住先でかならず求めた物は、青草と井戸(泉)でした。乾燥地帯であるカナンでは、常時豊かに流れている川の数は限られていました。それに比べれば泉は地中から湧き出るので、当てになりました。それだけに、泉の所有権は争いの種でもあり、争っても確保しなければならない「資源」でした。

 聖書には、水に関するエピソードが目白押しです。出エジプトを成功させたリーダー・モーセを悩ませたのも水でした。あの、葦の海の奇蹟を体験して踊り歌ったイスラエルの民が、わずか三日間の後には、「水がない」と言ってモーセに詰め寄っています。(出エジプト記15節22節~25節)食物より、まず、水だったのです。その後も、水の問題は、モーセを悩ませました。そのたびに、神がモーセを助けて下さって、岩の割れ目から水を、また苦い水を甘く変えてくださり、モーセは、駄々っ子のようになる民を、なんとかシナイまで連れて行くのです。

 水に関する一つ一つの奇蹟を検証するのは、それだけでも興味深いことですが、いえることは、水がたんなる生き死にの問題、この世的な必要の問題であるだけでなく、すべて、神からの「いのちの水」として、描写されていることです。モーセがたびたび行なう奇蹟はもちろん、族長時代に遡れば、アブラハムの子イシュマエルとその母ハガルが、荒野で飢え渇き、死を覚悟したとき、ふいに井戸が現れて(発見して)生きのびたエピソードも神からのものでしょう。(創世記21章1節~20節)

 また、たびたび出てくるききんも、聖書では、干ばつと同義です。日本でなら、風水害があり、冷害がありますが、ひどい干ばつで飢饉になることはあまりありません。しかし乾燥地帯カナンでは、水不足こそ、ききんの元凶です。それはまた、「神の国」のストーリーが動く大きな転回点となっています。たとえば、イスラエル(ヤコブ)が12人の息子と一族を連れて、エジプトに入るきっかけは、カナンのききんです。小麦を買い付けにエジプトに行くことで、先にエジプトに入っていたヨセフと他の息子たちが再会するのです。
 また、ダビデ王の曾祖母ルツが、姑ナオミについて、モアブからイスラエルに入ってきたのは、ききんでモアブに逃れていたイスラエル人の男と結婚したからでした。
 
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 イエス様とサマリヤの女のエピソードは、「水」をキーワードにしたすばらしい例話です。聖書は、それをヨハネの福音書4章全部を使って、記録しています。

 サマリヤのスカルという町の井戸で、イエス様は休息を取っておられました。弟子たちは食物を買いに町に出かけ、主はおひとりでした。そこへ、ひとりの女が水を汲みに来たのです。
 水を汲みに来ていた女に、イエスは仰せになります。「わたしに水を飲ませて下さい」。
 サマリヤの女は、ユダヤ人であるイエス様が自分に話しかけてきたことに驚き、訊ねるのです。

「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――(ヨハネの福音書4章7節〜9節)

 ここまでは、知られているようにたんなる導入です。
このあとに、イエスが言われた言葉こそが、まさに、「神のことば」です。

 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇きます。
 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてよいように、その水を私に下さい。」(13節〜15節)

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 イエス様は、神ご自身なので、これだけのことが仰せになれるのです。
 千年王国で完全な神殿が築きなおされ、礼拝が整えられ、すべての祭祀が正しく執り行われるとき、神殿は、真に神のご臨在の場となるのですから、そこから流れ出る水は、「いのちの水」なのです。「すべての生き物が生きる」(エゼキエル書47章9節)のは、当然です。

 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。(12節)






posted by さとうまさこ at 10:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする