2017年08月02日

ホセア書7 夫の与えたもので、楽しむ姦淫の女(ホセア書2章8節〜13節)



  彼女に穀物と新しいぶどう酒と油を与えた者、
  また、バアルのために使った銀と金とを
  多く与えた者がわたしであるのを、
  彼女は知らなかった。(ホセア書2章8節)

 このことばも、真実ですね。私たちは、自分のお金は、「自分が稼いだもの」と思いがちです。それが、夫の給料であろうと親の遺産であろうと、いったん自分の手に入ったら、自分の物だと思うのです。天災があって、農作物が実らなかったら「神の罰」と思うかもしれませんが、当たり前に作物が実って倉がいっぱいの時は、自分の労働の成果と考えるのです。聖書の神様を知っている者は、神様がすべてを下さっていると知識ではわかっています。それでも、それを使うのに、いちいち、神様に相談してはいられないし、また、神様もそのようなことを望んでおられないと思います。神は、私たちが、すべてを「いただいている」と、謙遜になることをお喜びになり、それゆえ、今でも、「その一部」を神様にお返しするのでしょう。

 けれども、この神から離れて長く経つ者、また、自分たちにすべてを下さっているのがどの神なのかを教えられなかった人は、多いのです。偶像の神に供え物をするとき、それがそもそも、「まことの神」からの戴きものであるのを気が付きもしない、と主は仰せです。
 恋人と会うために美しい着物を着るのも、彼に貢ぐお金さえ、夫が彼女に与えたにものではないか、と主は仰せなのです。

 そのような恩知らず――無知――を主が見過ごされることはないのです。
 
  それゆえ、わたしは、その時になって、
  わたしの穀物を、
  その季節になって、
  わたしの新しいぶどう酒を取り戻し、
  また、彼女の裸をおおうために
  わたしの羊毛と麻をはぎ取ろう。(9節)
  今、わたしは彼女の恥を、
  恋人たちの前にあばく。
  だれも彼女を
  わたしの手から救い出せるものはない。(10節)
  わたしは彼女のすべての喜び、
  祭り、新月の祭り、安息日、
  すべての例祭を、やめさせる。(11節)

★★★★★

  それから、わたしは彼女が
  『これは私の恋人たちが払ってくれた報酬』
   と言っていた彼女のぶどうの木と、
  いちじくの木とを荒れすたらせ、
  これを林にして、これを野の獣に食べさせる。(12節)

 姦淫のワナは、姦淫からでさえ「甘美な報酬」が得られることでしょう。偶像の神に祈って、欲しいものを願って、何かを得るように見えることだってあるわけです。『私の恋人たちが払ってくれた報酬』というわけです。しかし、それは、主がそのおつもりなら、すぐにも、取り去り、荒れすたらせることができるのです。

  わたしは、彼女がバアルに香をたき、
  耳輪や飾りを身につけて、
  恋人たちを慕って行き、
  わたしを忘れてバアルに仕えた日々に報いる。
  ――主の御告げ――(13節)

 どんなに着飾っても、恋人との甘い時間を過ごしてもやがて、そのような日々に終わりが来ます。本当の夫が、忍耐の限界に、かならず、彼女を罰する日が来るからです。









posted by さとうまさこ at 10:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする