2017年08月03日

ホセア書8 その日、わたしは答える。――主の御告げ――(ホセア書2章13節〜23節)



  わたしは、彼女がバアルに香をたき、
  耳輪や飾りを身につけて、
  恋人たちを慕って行き、
  わたしを忘れてバアルに仕えた日々に報いる。
  ――主の御告げ――(ホセア書2章13節)
  それゆえ、見よ。わたしは彼女をくどいて、
  荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。(14節)
  わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、
  アコルの谷を望みの門としよう。
  彼女が若かった日のように、
  彼女がエジプトの国から
  上ってきたときのように、
  彼女はその所で答えよう。(15節)

 姦淫の女に対して、主は「バアルに仕えた日に報いる」と言われるのです。私たちの感覚では、この詩文の流れから「報い」はかなり厳しいものだと考えるのです。姦淫をした奥さんに対して怒っている夫なら、「殴る、蹴る」の懲らしめを与えるのではないか。でなければ「離婚」のように、見限るでしょう。

 ところが、主は、自分を裏切った女を荒野に連れて行くのですが、そこで飢えを体験させようというのではなさそうです。それどころか、荒野を「ぶどう畑にする」。アコルの谷を望みの門とすると言われるのです。
 アコルの谷は、ご存知のようにヨシュア記に出てきます。荒野の40年のあと、指導者ヨシュアのもと、ヨルダン川を渡ってカナンに攻め入った時のエピソードのひとつです。
 エリコを落としたイスラエルは、その勢いで次の町アイを攻めましたがさんざんな敗北を喫しました。調べるとユダ部族のゼラフの子アカンが戦利品(聖絶の物)を盗んだからでした。
 アカンは、彼の家族や家畜、家財道具のすべてとともにアコルの谷で石打に処せられ、殺されたのです。(ヨシュア記7章6節〜26節)

 神の怒りの象徴であった「アコルの谷」は、イスラエル人にとっては震え上がるようなエピソードを思い起こさせたでしょう。しかし、このとき、姦淫の女に対して、主は、その場所を「望みの門」にして下さるのです。
 イスラエルが荒野に上って来たとき、主が数々の奇蹟と忍耐強い愛とをもって、導いて下さったように、やさしく導いてくださるのです。

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  その日、――主の御告げ――
  あなたはわたしを『私の夫』と呼び、
  もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。(16節)
  わたしはバアルたちの名を
  彼女の口から取り除く。
  その名はもう覚えられることはない。

 裏切ったにもかかわらず、愛で答えられた姦淫の女は、目が覚めるに違いありません。
 だれが、ほんとうの「夫」か、気づくのです。二度と愛人の名を呼ばないようになるのです。

  その日、わたしは彼らのために、
  野の獣、空の鳥、地をはう者と契約を結び、
  弓と剣と戦いを地から絶やし、
  彼らを安らかに休ませる。(18節)
  わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ。
  正義と公儀と、恵みとあわれみをもって、
  契りを結ぶ。(19節)
  わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。
  このとき、あなたは主を知ろう。(20節)

 夫のもとに立ち帰った妻に対して、夫は契りを結び直してくださるのです。

  その日、わたしは答える。――主の御告げ――
  わたしは天に答え、天は地に答える。(21節)
  地は穀物と新しいぶどう酒と油とに答え、
  それらはイズレエルに答える。(22節)

 主との新しい契りは、天と地、その産物やその土地にまで及びます。
 また、もとより、主が最も慈しんでいる「彼=人間」に及びます。

  わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、
  『愛されない者』を愛し、
  『わたしの民でない者』を、
  『あなたはわたしの民』と言う。
  彼は『あなたは私の神』と言おう。(23節)

 ここでの『わたしの民でない者』は異教徒の事でしょうか。やがて地上では、イスラエルの神を信じていなかった異教徒も、主を『私の神』という日が来るという預言です。まさに、新約時代の到来の預言であるようです。








posted by さとうまさこ at 11:00| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする