2017年08月04日

ホセア書9 再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。(ホセア書3章1節〜5節)



 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうどほかの神々に向い、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」(ホセア書3章1節)
 そこで、私は銀十五シュケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。(2節)

 これは、ホセアが主から、「妻を呼び戻せ」と命じられているのです。ゴメルは、ホセアを離れてほかの男のもとに走っていたのでしょう。「姦淫する女の夫」という立場は、ただでさえ不名誉なものです。あたりまえなら、夫は妻を捕えて石打にさえできるはずです。ところが、主は彼女を呼び戻して復縁しなさいと仰せなのです.復縁と言っても、それはゴメルの新しい夫あるいは、ゴメルの親に、再び花嫁料を払う必要があることなのです。
 まったく、ホセアの立場はひどいものですが、彼は主のご命令に従います。「銀と大麦」で彼女を買い取るのです。
 もちろん、彼は、復縁にあたって、ゴメルに次のように言い聞かせます。

 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」(3節)

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 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エボデも、テラフィムもなく過ごすからだ。(4節)
 
 ホセアがゴメルを買い戻すのは、たんなる人間的な未練(恋情や執着や分別)ではありません。それが、自分たちの神を裏切り続けているイスラエル人に対する神の愛の形であることを、イスラエル人に示すためでした。つまり、これこそが預言だったのです。

 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを捜し求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。(5節)

 神の「あきらめない愛」のもとで、イスラエル人たちは、やがて、彼らの神・主、主が選んだ王ダビデを捜し求めるようになるというのが、預言の真意です。
 「終わりの日に、主のめぐみに来よう」は、しばしば解釈されているように、ユダヤ人たちがクリスチャンとなって、終わりの日にキリストの前に立つことを意味しているようです。感謝!







posted by さとうまさこ at 10:52| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする