2017年08月05日

ホセア書10 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。(ホセア書4章1節〜6節)



 ホセアは、姦淫してほかの男のもとに走り、彼から離れてしまった妻を買い戻しました。それが、神の御命令だったからです。そもそも、ホセアがめとった女ゴメルは、最初から「姦淫の女」と呼ばれているのです。彼女は、娘であった時代から身持ちの悪い女だったに違いありません。ふつうなら、結婚相手として敬遠されるような女をめとったのも神の御命令でした。(ホセア書1章2節3節)

 ホセアの忍耐強い愛は、多くの人を驚かせたに違いありません。「どうして夫を裏切ったような女を買い戻すのだ!」と、笑ったり、怒ったりする人がいたでしょう。
 その疑問への答えが、ホセアの預言だったのです。

  イスラエル人よ。
  主のことばを聞け。
  主はこの地に住む者と言い争われる。
  この地には真実がなく、誠実がなく、
  神を知ることもないからだ。(ホセア書4章1節)

 ホセアは、彼を非難するイスラエルたちに答えます。ゴメルと同じようなことをしているイスラエル人、神からいただいたイスラエルのちに住む者と、今こそ主が言い争われると言うのです。イスラエル人自身が、自分たちの夫、神に対して姦淫を犯しているではないかというわけです。

  ただ、のろいと、欺きと、人殺しと。
  盗みと、姦通がはびこり、
  流血に流血が続いている。(2節)
  それゆえ、この地は喪に服し、
  ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに、
  打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。(3節)

 その結果、イスラエルの地は荒れ果て、無残な流血がはびこり、獣や鳥、魚、つまり「自然」でさえも、絶えて消えそうな世界になっているのです。

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  だれも咎めてはならない。
  だれも責めてはならない。(4節a)


 人は、他者の行為は簡単に批判し、なじることができます.姦淫をした妻女を許すばかりか、買い戻した夫ホセアをあざ笑います。
 しかし、神はそのような人間の上っ面の正義感を、とがめておられます。人が、人を責めることなどできるだろうか、と言うわけです。神に対する姦淫を放置しておいて、なぜ、ゴメルやホセアを責めるのか。

  しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。(4節b)
  あなたは昼つまずき、
  預言者もまた、あなたとともに夜つまずく。
  わたしはあなたの母を滅ぼす。(5節)
  わたしの民は知識がないので滅ぼされる。
  あなたが知識を退けたので、
  わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。
  あなたは神の教えを忘れたので、
  わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。(6節)

 一番大きな罪、神に対する姦淫については、祭司が一番咎められるべきです。つぎに預言者です。なぜなら彼らは直接神ご自身と「話す」機会がある選ばれた主のしもべなのです。民は、民で、すでに律法を「知っているはず」なのだから、やはり神の怒りの対象なのです。
 つまり、神は、イスラエルそのものの姦淫の罪を咎めておられ、そのようなイスラエルを忘れよう、と仰せなのです。







posted by さとうまさこ at 10:44| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする