2017年09月01日

ホセア書36 父祖ヤコブとエフライムのそむきとを較べる(ホセア書12章6節〜12節)



  あなたはあなたの神に立ち返り、
  正義と公儀とを守り、
  絶えずあなたの神を待ち望め。(ホセア書12章6節)

 主は、イスラエル民族の父祖ヤコブを思い出させて、エフライムを諭しておられます。悪いものであったヤコブは、主に立ち返ったのです。一度ならず、二度三度主が彼に働かれて、また、ご自分を顕されてヤコブをイスラエル民族の父とされたその歴史を思い出させておられるのです。

  商人は手に欺きのはかりを持ち、
  しいたげることを好む。(7節)

 私たちはしばしば、神様からの祝福さえ思い違いをしてしまいます。神様の基準を計るはかりを、いつの間にか、自分に都合のよい「欺きのはかり」にしてしまうのです。

  エフライムは言った。
  「しかし、私は富む者となった。
  私は自分のために財産を得た。
  私のすべての勤労の実は、
  罪となるような不義を私にもたらさない。」(8節)

 神様の祝福の中に、たしかに「富や財産」があります。勤労の実が努力に比例して報われるのも祝福です。しかし、富や財産を得ることがそのまま、神様の祝福とは限りません。悪魔は、何とイエス様を富で誘惑しています。

 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々と栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」(マタイの福音書4章8節9節)

 イエスさまには通用しなくても、私たち人間は、簡単に富と財産に、目がくらみます。

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  しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、
  あなたの神、主である。
  わたしは例祭の日のように、
  ふたたびあなたを天幕に住ませよう。(9節)
  わたしは預言者たちに語り、
  多くの幻を示し、
  預言者たちによってたとえを示そう。(10節)

 神は、ご自分がイスラエルをエジプトから救い出されたことを、ふたたび思い出させています。エジプトを脱出してきた民は、文字通り着の身着のままでした。けれども、彼らは、自分たちの神の例祭を祝うことができるようになったのです。自分たちの天幕で住み、カナンへ入るまぼろしに喜び楽しんだはずでした。
 その彼らが、主にそむいたのです。

  まことに、ギルアデは不法そのもの、
  ただ、むなしいものに過ぎなかった。
  彼らはギルガルで牛にいけにえをささげた。
  彼らの祭壇も、
  畑のうねの石くれのようになる。(11節)

 神の目からご覧になって、不義を行なったヤコブも、それゆえ労苦をしなければなりませんでした。それは、20年間にも及びました。(創世記31章37節〜42節)
 次の箇所は、その時の、ヤコブの労苦を述べています。

  ヤコブはアラムの野に逃げて行き、
  イスラエルは妻をめとるために働いた。
  彼は妻をめとるために羊の番をした。(12節)







posted by さとうまさこ at 10:54| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする