2017年09月02日

ホセア書37 預言者と神の御意志――出エジプトによせて(ホセア書12章13節〜14節)



  主はひとりの預言者によって、
  イスラエルをエジプトから連れ上り、
  ひとりの預言者によって、これを守られた。(ホセア書12章13節)

 神の国の歴史は、その大きな節目が順番に聖書に記されています。
 アブラハムが召されてヤコブがエジプトに入るまでは、「神の民イスラエル」が生まれる黎明期です。エジプトでのイスラエルの歴史は詳しくは書かれていませんが、430年をそこで過ごしたイスラエルは、民族と呼ばれるほどに数を増やしました。ヤコブが一族を連れてヨセフのいるエジプトに移り住んだとき、彼ら一族の群れは70人でした。(創世記46章27節) それが、出エジプトのときには、60万人になっているのです。(出エジプト記12章37節)

 この大きな集団が、エジプトを出てカナンに向かう日が来ることは、主のご計画にある通りだったでしょう。そのために、主はひとりの預言者――モーセを召されました。モーセは、謙遜に律儀に神の御心に聞きしたがう神のしもべでした。出エジプト記をありのまま読むだけで、そこには、預言者モーセの私心がほとんど書かれていないのに気が付きます。ホレブの山で神に召された時に、モーセはひどく恐れてしり込みしています。しかし、あくまで、「エジプトに行くよう」命じられると、その後の態度と行動は、決然としたものです。神に従うのですから、迷いの余地はないのです。

 この決然とした預言者の姿は、イスラエルの民を召された神のゆるぎない態度を反映しているだけだと言ったら、モーセに申し訳ないのです。が、預言者に召されるということは、それほど「私心」などとは無縁になると言う意味かなと思います。
 もちろん、ホセアもそうだったでしょう。だから、姦淫の女と呼ばれるゴメルをめとり、姦淫の子どもを引き取って養うのです。それは、あくまで、霊的姦淫を犯しているエフライムへのメッセージのためでしたが、ホセアは従容として、神の御命令に従うのです。
 
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 それでも、エフライムは悔改めることはなかったのです。
 容赦のない主の裁断が、北王国の上に下されます。

  エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。
  主は、その地の報いを彼に下し、
  彼のそしりに仕返しをする。(14節)








posted by さとうまさこ at 11:20| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする