2017年09月07日

ホセア書42 ふたたび招いて下さる主――主の道はたいらだ(ホセア書14章4節〜9節)



  わたしは彼らの背信をいやし、
  喜んでこれを愛する。
  わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。(ホセア書14章4節)

 ホセアが導いて、イスラエルの民は悔い改めの告白をします。すると、主、神は許して下さるのです。

  わたしはイスラエルには露のようになる。
  彼はゆりのように花咲き、
  ポプラのように根を張る。(5節)
  その若枝は伸び、
  その美しさはオリーブの木のように、
  そのかおりはレバノンのようになる。(6節)
  彼らは帰って来て、その陰に住み、
  穀物のように生き返り、
  ぶどうの木のように芽を吹き、
  その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。(7節)

 乾燥地イスラエルでは、先の雨、後の雨が穀物を成長させます。しかし、雨季でないとき、花も木々も、夜の間に滴る露から水分を得て、目を吹き、花を咲かせるのです。昼と夜の寒暖差が大きいパレスチナの地では、夜露は大きな水源でした。

  エフライムよ。
  もう、わたしは偶像とは何のかかわりもない。
  わたしが答え、わたしが世話をする。
  わたしは緑のもみの木のようだ。
  あなたはわたしから実を得るのだ。(8節)

 怒りを思い直された主は、彼らの偶像礼拝を忘れて下さるのです。心からの悔い改めを持って、ひざまずいて祈れば、主はエフライムをおおって下さるのです。「緑のもみの木」は永遠の生命の象徴であり、ゆえに、神はよい実を結ばせて下さる。(新実用聖書注解・いのちのことば社)との意味です。

★★★★★

  知恵のある者はだれか。
  その人はこれらのことを悟るがいい。
  悟りある者はだれか。
  その人はそれらを知るがよい。
  主の道は平らだ。
  正しいものはこれを歩み、
  そむく者はこれにつまずく。(9節)

 知恵と悟りは、信仰の道を拓きます。これによって、人は、「主の道」を歩むことができるのです。
 主の道は平らだと、主ご自身が仰せなのです。正しいものは、これをしぜんに歩むことができるのです。叛く者がつまずくだけなのです。

 難しい岩場や鎖場(くさりば)で、主は私たちを振り落とそうとしておられるのではなさそうです。もしそうなら、弱い者は主の道を歩むことはできません。老人や、子ども、障害者、訓練していない者も、主の道を行く前に、「資格」がないと言われるでしょう。
 でも、主の道は平らだと言われるのです。「知恵と悟り」とは、素直に主の道を行くことでしょう。それこそが正しいというのは、私には、大変な励ましです。





posted by さとうまさこ at 10:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする