2011年11月09日

Coffee Breakヨシュア記73 証拠の石(ヨシュア記24章27節、31節)




 そして、ヨシュアはすべての民に言った。「見よ。この石は、私たちに証拠となる。この石は、主が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、この石はあなたがたに証拠となる。(ヨシュア記24章27節)

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「動かぬ証拠」と言う言葉があります。言い逃れができない証拠です。どんなに親しくても、大金を貸すときには借用書を作る人は多いでしょう。私は法律にはうといのですが、たとえメモであっても書きしるし、相手のサインをもらって置くことは意味があるそうです。
もちろん、賃貸契約書、不動産の取引、さまざまな場面での保証人の約束など、しかるべき書式で、実印を押したものは法律的に効力があります。

「公式証書」の類は、いざと言うときに法律に訴えても、内容が履行されるために作るのです。けれども、同時に、そのような文書を交わすことで、約束の内容を自覚する意味があるでしょう。

 聖書では、神への誓いの場面に何度か石が出てきます。ヤコブは、兄のエサウの怒りを恐れて実家から逃亡して伯父の元へ行く旅路で、彼に現れて下さった主のために、枕にしていた石を立てました。
 ヤコブが、叔父のところから戻って来るとき、叔父と和解をした場所にまた石を立てました。
 ヨシュア記では、ギルガルに十二の石を並べて、記念にしたというのがあります。

 シェケムで民と契約を結んだとき、ヨシュアは石を立てましたが、ここで彼が言った言葉は、そのまま、現代の契約書にあてはまりそうです。

「見よ。この契約書は、私たちに証拠となる。この契約書は、主が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、この契約書はあなたがたに証拠となる。」「主」の代わりに、今では「国」でしょうか。私たちは国の法律に誓っているからです。同時に、国は私たちに「国民としてあるべきルール」を語っているのです。
 ここは、ちょっとヘンだと感じられるでしょうか。それでは、国の意思はどこからくるのかと思いますね。

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 ヨシュアの時代のイスラエルは、すべてのルールは神から来るものでした。律法の書に記されてことが法律でもありました。統治者も神でした。子どもの喧嘩のような些細なもめごとにまで、神にお伺いを立てるのではありませんが、大きな決定はかみの御旨を伺うのです。そのために祭司がいて、必要なら神が預言者をお立てになりました。

 つぎの士師記(ししき)では、士師と呼ばれる「さばきつかさ」が、イスラエルを治めるようになります。さばきつかさの役割は、裁判と戦いの指揮だったようです。彼らはいろいろないきさつで選ばれていますが、すべて、神が召し出された人です。ただ、それでも、イスラエルはあまりうまくいかなかったのです。

 イスラエルは、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って、主がイスラエルに行われたすべてのわざを知っていた長老たちの生きている間、主に仕えていた。(ヨシュア記24章31節、士師記2章7節)

 あすから、士師記に入りたいと思います。URLは変わりません。ぜひお訪ね下さい。





posted by さとうまさこ at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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