2011年11月10日

Coffee Breakヨシュア記・士師記74 ヨシュア後(士師記2章8節〜11節)




 今日から士師記に入ります。 士師記と聞いて、すぐこの漢語が読め、意味が分かる人はよほど漢文に通じた方かもしれません。日本語ではなくて、中国語の聖書から取ったものだそうです。士師とは、「古代中国の刑を掌った官」(広辞苑)のこと。新改訳聖書ではさばきつかさと言う言葉も使われています。聖書では、裁判官である以上に、国難に際して立てられた軍事的な指導者です。

★★★★★

 主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。(士師記2章8節)
 人々は、彼をエフライムの山地、ガアシュ山の北にある彼の相続の地境ティムナテ・ヘレスに葬った。(9節)
 その同世代の者もみな、その先祖のもとに集められたが、彼らのあとに、主を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。(10節)
 それで、イスラエル人は主の目に悪を行い、バアルに仕えた。(11節)
 彼らはエジプトの地から自分たちを連れ出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、彼らの回りにいる国々の民の神に従い、それらを拝み、主を怒らせた。(12節)


 Coffee Breakヨシュア記73で、イスラエルの民は、大きな石を立てて、外国の神々を除き去り、イスラエルの神、主に心を傾けることを、ヨシュアに誓いました。「見よ。この石は、私たちに証拠となる。この石は、主が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、この石はあなたがたに証拠となる。(ヨシュア記24章27節)

 ここには、二つの問題が示唆されています。カナン入りの苦労を知らない世代のこと。イスラエル人が入植したカナンには、異教徒がいて、ほかの神々の誘惑があったことです。ヨシュアやヨシュアとともに戦った世代が完全にいなくなると、これら、子孫たちはもはや神との約束を忘れてしまって、バアルやアシュタロテなどほかの神々に仕え、主を裏切るのです。

★★★★★

  
 イスラエルは神聖政治国家です。治めるのは神様です。それも、神々と総称されるような「おおぜいの神のひとり」ではありません。私たちをお造りになり、その創造の初めに、私たちを「その似姿に」象(かたど)って下さったお方です。私たちにとって親から子への血縁は、もちろん意味のあるつながりです。しかし、その一番はじめは、「ひかりよあれ」と、ことばだけで万物を生み出された霊である神です。

 すべての神々よ。地にひれ伏せ。(詩編97)と詩編の作者も歌っています。

 私たちクリスチャンが「真の神」「唯一の神」と、自分たちの神をほめたたえるのは、観念的になって、自分の礼拝する神を絶対化しているのではありません。
 つい数日前も、Coffee Breakで見たように、聖書に記されている神が、事実、真の神、絶対唯一の神、私たちにいのちの息を吹き込んで下さった神だからです。
 
 私たち人間が本来の生みの親をしっかり認識するように、神は、神の姿を忘れた古代の人たちの間にイスラエルをお選びになり、何度も奇蹟やしるしを顕されてご自分を示されたのです。
 それでも、イスラエルの民はすぐに自分たちを選び、養って下さっている方を忘れるのです。もちろん、忘れっぽい愚かな人間が悪いのです。けれども、イスラエルの民のために弁護するなら、ある意味無理からぬことです。
 私たち人間は、楽園の中でさえ、サタンにそそのかされたのです。まして、この世はサタンの支配する世界です。
 士師記の時代の人たちは、それを知っていたでしょうか。






posted by さとうまさこ at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/234452916
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック