2011年11月18日

Coffee Breakヨシュア記・士師記82 オテニエル(士師記3章9節)




 カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。(士師記3章1節)
 ・・・・これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである・・・・。(2節)
 すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。(3節)


 ヨシュア記では、「聖絶した」との記事が続くにもかかわらず、イスラエルはカナンの要衝のいくつかを征服しただけの状態で、カナンに入植したのです。相続地の分配は、神にお伺いを立てた神意に基づくものでしたが、まだ、征服されていない「見込み」の領地がたくさんありました。これは、「明日の百より今日の五十」と願うようなリアリストには、ばかげた話かもしれません。
 分配を受けた各部族は、神の言葉を信じ、かしらを先頭に必死に戦って相続地を取得していったのです。
 この時、カナンにいた先住民たちは、当然、イスラエルの敵でした。実際問題として、いつまでも戦ってはいられなかったのでしょう。力が劣勢なら、妥協するしかありません。
 以上は、私が考える考え方、つまり、人間の見方です。

 イスラエルが征服できない民と共存しなければならないのは、じっさいには、「神のご計画」の一環でした。神は、イスラエルの民がこれら異教徒たちの中にあっても、イスラエルと契約をされた神、アブラハム、イサク、ヤコブの神との関係を守ることを期待されたのです。 「試みる」とは、ありていに言えば「貞操」を試されることです。イスラエルをエジプトから導き出された「天地万物を創造された神」(創世記1章〜2章)「わたしはある」(出エジプト記3章14節)と自己紹介された神、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」(同3章15節)とイスラエルとの間で結ばれたシナイ契約は、いわば結婚契約と見なされたからです。
 

 イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、(3章5節)
 彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。(6節)
 こうして、イスラエル人は、主の目の前に悪を行い、彼らの神、主を忘れて、バアルやアシュラに仕えた。(7節)
 それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライム王クシャン・リシュアタイムの手に渡された。こうして、イスラエル人は、八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。(8節)
 イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救う一人の救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。(9節)
 


 ★★★★★

 オテニエルは士師記に登場する最初の士師(さばきつかさ)です。すでに、ヨシュア記にも登場していますから、ユダ族の有力な部族のかしらで、武将だったのでしょう。以前はユダ族のために、ヘブロン南のキルヤテ・シェフェル(デビル)を攻める戦いに名乗りを上げた勇士でしたが、この時は、全イスラエルのために立ち上がったのです。
 士師記全部で、十二人の士師が起こされます。

 彼については、デビルを落とした功績でカレブの娘アクサを妻としたことがすでに、語られています。その時、アクサをそそのかして、カレブに対して「畑や泉」をねだらせていますから、なかなか現実的な策士だったのかもしれません。(士師記1章13説〜15節)

 けれども、聖書の歴史の中で必要なことは、「神が彼を起こされた」(3章9節)ことです。「主の霊が彼の上にあったので」(10節)、彼は、クシャン・リシュアタイムを打ち取り、イスラエルに平和をもたらしました。

 平和は、四十年間続きました。





posted by さとうまさこ at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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