2011年12月20日

Coffee Breakヨシュア記・士師記113 神の御計画(士師記13章2節、3節) 


 

 さて、ダン人の氏族で、その名をマノアというツォルア出のひとりの人がいた。彼の妻は不妊の女で、子どもを産んだことがなかった。(士師記13章2節)
 主の使いがその女に現れて、彼女に言った。「見よ。あなたは不妊の女で、子どもを産まなかったが、あなたはみごもり、男の子を産む。(3節)


 これは、士師記13章サムソン登場の舞台の幕が上がった最初の場面です。「あれ!」と思われるでしょうか。
 子どものいない不妊の女のところに、主の使いが現れて妊娠を予告する――すでに、このパターンの話は使われています。
 アブラハムの妻サラがイサクを産む前、主の使いが現れて彼女が子を持つことを予告するのです。
 もちろん、二つの話には違いがあります。
 イサクの誕生は、いきなりサラに告げられるのではなく、まず夫であるアブラハムに予告されるのです。(創世記17章15節〜21節、18章1節〜15節)

 また、サラは単に「不妊の女」というだけでなく、この時、九十歳という高齢でした。不妊の女と烙印を押されるのは、結婚後、どれくらい妊娠しなかった場合でしょう。私の知り合いのお祖母さんは結婚しても子供ができなかったので、昔の農家ですから跡取りが必要と思い、養子を二人取っていたそうです。ところが四十歳になって妊娠し、その後、二人目も生まれたのです。結婚がまだ十代後半になされた頃ですから、二十年間子供のいない彼女は、「不妊の女」だと思われていたことでしょう。
 サムソンの母になるマノンの妻は、不妊の女の烙印を押されていたとしても、まだ、妊娠可能な年齢だった可能性があるのです。
 もう一つ、不妊の女に主が妊娠を告げられる有名な話が、ルカの福音書の冒頭にあります。バプテスマのヨハネの母エリザベツの妊娠です。この時も、神(天使ガブリエルが神の言葉を伝えていますが)が告げられたのは、夫のザカリヤに対してであり、しかも、夫婦二人とももう年寄りであると、ザカリヤ自身がガブリエルに答えています。

 この三つの例は何を意味しているのでしょう。もとより、高齢になっても子供が与えられるかもしれない「希望」を、語っているのではありません。不妊の女と言われても、挫けてはいけないと励まされているのでもないと思います。
 これは、いのちを司るのは、だれかを生み出すのは、「神のわざ」だと知らしめられているのです。さらに、わざわざ聖書が記録している意図は、三人とも、神の救いのご計画に重大な役割を持って生まれてきたことです。

★★★★★

 聖書には、このほかにも、その出生が神の御心であった例として、イスラエル最後の士師であり、大預言者として知られるサムエルの誕生を記録しています。サムエルの母ハンナはエルカナという人のふたりの妻のひとりでした。もう一人の妻ベニンナにはたくさん子どもがいたようですが、ハンナには子供がありませんでした。(サムエル記1章1節〜11節) そのため、ベニンナは、ことあるごとにライバル・ハンナに、子供がいないことを思い出させて苦しめました。ハンナはこのことに泣き、神に祈願してサムエルを身籠ることができたのです。
 ハンナの例も感動的なのですが、しかし、ここでも、神に願えば、子どもが生まれるという例として出されているのではありません。そのように読むのも許されるでしょうが、それは、とても小さな部分しか読んでいないことになります。神に願って生まれてきた子供は、歴史的に見て星の数ほどいるでしょう。ただ、ハンナの例が、あえて聖書に記録されたのは、サムエルが大きく用いられた「神の人」だったからです。
 
 とくに、イサクの誕生、バプテスマのヨハネの誕生、サムエルの誕生、また、普通に生まれてきたものの殺されるべき運命であったのを生き延びたモーセ出生のいきさつが、あえて記録されているのは、神が必要とされるときには、「奇跡」を起こされる、その証明ではないでしょうか。神が選ばれた人が、神の救いのご計画に用いられるのです。それは、個人の思いで「手を上げて」なるようなものでもなければ、まして、陰謀や人間的な腕力で勝ち取る物ではないと、示されているのではないでしょうか。

 ★★★★★

 いよいよクリスマスです。クリスマスという言葉自体は、いくらクリスチャンの少ない日本でも知らない人はいないでしょう。世界中の記念日で最も有名な日ではないでしょうか。もちろん、クリスチャンは、もう少し詳しいことを知っています。十二月二十五日が、正確にはイエス様のお生まれになった日ではないこと(イエス様のお生まれになった日は不明。ヨーロッパにキリスト教が伝わった後、現地の冬至の祭りと重なって祝われることになったと言われています)、さらに最近の研究では、2011年前より数年前の、ご降誕だったのだろうとわかっています。
 今の日本のようなしっかりした戸籍制度、生まれて十四日以内に出生届けを出さなければいけない時代ではありませんから、そのような間違いがあっても当然でしょうか。
 
 さらに、クリスチャンになった人が、一度は、頭を悩ませた問題は、イエスの母マリヤの処女懐胎です。不妊の女が妊娠する可能性は、認めましょう。高齢出産、超高齢出産も認めましょう。けれども、処女が妊娠するなんてそんなバカな・・・。

 聖書は誤りのない神のことばと言われているのです。「誤りのない神の言葉」を即物的な三次元の世界の話、もっと言えば、自分が理解できる範囲の物語として、誤りがないことを期待する読み方では、確かに信じがたいことなのです。それで、マリヤはローマ兵にレイプされたとか、じつはマリヤが不倫をしたのだとか、まさに、そちらこそ、何の証拠もない憶測をまことしやかに触れ回る人が、後を絶たないのです。
 しかし、もちろん、マリヤは、何もなく身ごもったのではありません。マリヤは「聖霊によって」身重になったのです。(マタイの福音書1章18節、ルカの福音書1章26節〜38節)
 
 聖書は神が主役の話であるとは、Coffee Breakでも何度か書きました。神とは何かと問う人のためには、聖書が答えています。 神は霊です。(ヨハネの福音書4章24節) 神はことばであった。(ヨハネの福音書1章1説) 神は愛です。(Tヨハネの手紙4章16節) 神に不可能はありません。(ルカの福音書1章37節)
 まだまだ、いくらでもあげることができるでしょう。

 霊であられる神が宇宙万物をお造りになり、これに秩序を与え、あなたにもその霊のいのちが宿っていること、あなたは万物を創造する力ある方から「霊のいのち」を得てこの世に生まれてきたと信じる人なら、霊によって身籠るのはありうることだと理解できるでしょう。
 ただし、私たちがどのように熱心に願い、その証拠を自分でつくろうとしても、できることではありません。すでに、動物の卵(らん)にある種の物理的刺激を与えれば、受精卵のように分割を始めることもわかっています。クローン技術で親の複製を作ることもできます。けれども、そのようにして造られたいのちは、神が司る「生殖」とはほど遠いものです。

 
★★★★★

 神が、人類の歴史上、ただ一度だけ、処女を身籠らせられたのは、神ご自身が人となって(神の子と呼ばれる)、人の世界にお生まれになるためでした。じつに不思議なことです。ほんとうに不思議なことですが、それゆえ、素晴らしい出来事なのです。






posted by さとうまさこ at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック