2012年01月05日

Coffee Breakヨシュア記・士師記129 サムソンとデリラ(士師記16章1節〜6節)




 サムソンの物語は、聖書を「神のことば」だと教えられて読み始めた純真な読者を驚かせるかもしれません。私たちの良識ある(と思っている)常識に、突き刺さって来るからです。偶像礼拝の異邦人がイスラエルを圧迫して苦しめているからといって、神は、サムソンのような乱暴者を用いられなくてもよさそうなものを。いったいイスラエルには、道理を説いて、敵と知的に渡り合えるようなリーダーはいなかったのか。平和的交渉で国境を線引きし、平和共存のための協定を結べるような政治家は! わざわざ神が霊を送られるなら、凡庸な人間をも、「神のように」愛と知恵で満たして下さるべきではないのか。

 神がいるかいないかの論争になると、結局、このように神さまに「噛みつく」人が少なくありません。悪いのは、自分ではなくて、他人である、環境である、災害である、そのような悪を放置している神である。どこに神がいるのか、というわけです。
 私たちの常識に挑戦してくるのは、じつは、サムソンの物語が最初ではありません。旧約聖書の第一ページを読んだとき、すでに、だれもが感じることなのです。

 「神がエデンの園の中央に、食べてはいけない木の実のなる木をわざわざ植えていたのはひどい」というコメントを、どこかのサイトで読んだことがあります。これは、「ひっかけ問題」だというわけです。
カインのアベル殺しも、神様がカインとアベルのささげ物に平等に目を止めなかったからだ。大洪水でいっせいに地上の人間を滅ぼすなんて論外。さらに、ノアとその一家だけを救うなんて依怙贔屓(えこひいき)。どうして、天に届く塔を立てようと挑戦することが悪いのか。と、際限がありません。それでも、聖書にむしゃぶりついていくことができるでしょうか。相手は神様なのです。聖書が語りかけてくるメッセージは、勝ち負けのある論争ではないのです。

 ★★★★★

 サムソンは、イスラエルを二十年間治めた士師でした。必要な場所では、神の霊が下って人間わざとは思えない働きをするサムソンを、敵も恐れ、それゆえ、平和が保たれたのです。イスラエルの人々が、彼に従ったのは当然でした。
 しかし、力でねじ伏せる関係に、しょせん、真の信頼はありません。

 イエス様も、「剣を取る者は、みな剣で滅びます」(新約聖書マタイの福音書26章52節)と言われました。
 ペリシテ人は、サムソンがペリシテ人にしたことを忘れていませんでした。いつか仕返しをしてやろうと、機会を狙っていたのです。

 サムソンはガザへ行ったときそこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところに入った。(士師記16章1節)
 このとき、「サムソンがここにやって来た」と、ガザの人々に告げる者があったので、彼らはサムソンを取り囲み、町の門で一晩中、彼を待ち伏せた。そして、「明け方まで待ち、彼を殺そう」と言いながら、一晩中、鳴りをひそめていた。(2節)
 しかし、サムソンは真夜中まで寝て、真夜中に起き上がり、町の門のとびらと、二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、それを肩にかついで、ヘブロンに面する山の頂へ運んで行った。(3節)


 この場面もまた、解説なしに笑えるところです。アニメ映画に向いているような場面です。
 門を門柱ごと引き抜いて肩に背負って山に登り、その頂上に捨てたのです。門の大きさがどれくらいであっても、すごい力です。ペリシテ人は、ただあっけにとられたことでしょう。
 そこで、危険を察知して、いち早く帰るのがふつうの人間ですが、サムソンは違いました。その夜は、ソレクの谷に行って、デリラという名の女と寝たのです。

 そのニュースを耳にしたペリシテ人の領主たちは、デリラに使いを送って言いました。「サムソンの強い力がどこにあるのか、サムソンを口説き落として、聞き出してくれないか」。
 どんな人間にもかならず、泣き所があるはずだから、それを知らせてくれ。それで、ペリシテ人たちがサムソンを縛り上げることができたら、デリラにお礼として銀千百枚を渡す、と言うのです。
 デリラは銀千百枚に心を動かされました。当時、イスラエルの祭祀儀礼に携わることになっていたエリート・レビ人の年収が銀十枚だった(新実用聖書注解・いのちのことば社)のですから、どれほどの高額だったか想像がつきます。
 
 デリラは、怪力の秘密を聞き出そうと、執拗にサムソンに迫ります。
「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうか、私に教えてください。」







posted by さとうまさこ at 08:46| Comment(2) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
映画『ナチュラル』に「サムソンの髪の毛のようだ」という台詞があったのがきっかけで、初めてサムソンの物語について知りました。欧米人の考え方の基礎にいつもこのような聖書の物語があることを知り興味深いです。


>「剣を取る者は、みな剣で滅びます」

とても、大切な教えですね。
Posted by ETCマンツーマン英会話 at 2014年05月07日 23:03
コメントありがとうございます。
私は欧米のミステリーを読むうちに聖書を読もうと思ったのです。欧米文化の背景になっているでしょうから。今では、ミステリーよりぞっこんになってしまいました。ぜひお読みになってみてください。英語が堪能な方は英語のほうがわかりやすいと言われています。
Posted by さとうまさこ at 2014年05月08日 12:14
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