2012年02月07日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記、サムエル記162 サムエルの時代(Tサムエル記1章〜3章)




 いよいよサムエル記です。歴史書と呼ばれる書物は、ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記(T、U)、列王記(T、U)、歴代誌(T、U)、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記と続きます。
 サムエル記は、創世記で、アブラハムの家の家族史として始まった神の救いの歴史が、カナンでいよいよイスラエル人の王国として世界史に登場してくるところです。

 サムエル記に続く歴史書では、ダビデ、ソロモンの下で全盛期を謳歌するイスラエル。やがて、イスラエルが内紛によって分裂し、弱まり、回りの強国に攻められ、民は捕囚として捉えられ、滅んでしまう過程。その苦しみのどん底でも主・神は働いておられ、イスラエルの民は、神の御前にアブラハム、イサク、ヤコブの神への信仰を回復していく様子が記されています。
 波乱に満ちたダイナミックな歴史は、それ自体大河ドラマがいくつも生まれそうな劇的なものです。

★★★★★

 第一サムエル記の眼目は、なんといっても、旧約聖書中でも畢生(ひっせい)の偉大な人物――大祭司、大預言者、最後の大士師・サムエルの誕生と成長と活躍です。サムエルは、不妊の女だった母ハンナが神に誓願して賜った子どもでした。そのとき、ハンナは男の子ならば、ナジル人として神にその生涯をささげると誓っていました。それで、サムエルは、乳離れする年まで母の元で養育された後、シロにある幕屋に仕える大祭司エリのもとに預けられたのです。

 サムエルはまだ少年であった時、すでに神が彼に語りかけ、その召命を明らかにされています。(サムエル記3章) 

★★★★★

 サムエルが生まれたのは、イスラエルでは、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」士師記の時代の風潮が残っていました。大祭司エリのふたりの息子たちも、主へのささげ物を横取りしたり、神殿に仕える女たちと寝たりするありさまで、当然、民の信望もなく、外敵に攻められても、有効な戦いもできませんでした。
 主がともにおられるサムエルが、成長した時、ようやくイスラエルに神の声による祀りごとや裁きが、戻ってきたのです。

 こうして全イスラエルは、ダンからべエル・シェバまで、サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。(Tサムエル記3章20節)

 しかし、これほど偉大なサムエルの息子たちもまた不肖の息子でした。そこで民は、イスラエルを治め、外国と戦って守ってくれる王をサムエルに要求しました。
 サムエルは王政そのものには、不快感さえ表していますが、民の要求に押されて神にお伺いを立て、王となる者に油を注ぎます。最初がサウルであり、次がダビデでした。







posted by さとうまさこ at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/250874620
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック