2012年06月16日

Coffee Breakヨシュア記・士師記・ルツ記・サムエル記296 Tサムエル記を終えて(Tサムエル記31章)



 勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。(12節)
 それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。(13節)


 聖書は、ある側面、イスラエル民族の歴史です。アブラハムの孫ヤコブ(イスラエル)から生まれたイスラエル十二部族の有為変転を記しています。彼らは、父祖の地カナンからいったんエジプトに植えられ、ふたたび、神のお約束に従って、エジプトを脱出してカナンに入れられるのです。シナイで神と契約を結び、律法を授けられ、神聖政治国家としての祭司制度、祭祀儀礼で国の体裁を整えました。
 四十年の荒野での彷徨の後、カナンの地を神から約束された「相続地」として、十二部族で分けあい、入植します。しかし、じっさいには、入植に際して神のご命令通り「異邦人の聖絶」を行うことができず、その後も、ペリシテ人など異邦人の侵入に苦しみ、また、同胞イスラエル人の間での内紛もあり、血なまぐさい歴史を生きなければなりませんでした。
 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」を戴く同じ民族としての自覚はあったのでしょうが、しばしば、神を見失い、神の御怒りに触れ、祭司でさえその立場を忘れて私利私欲に流れるなかで、民は、世俗の権力をもった王、世俗的に国の体裁と軍事組織をもった王制を求めるようになるのです。サウルは、そのような乱れた時代に神から王として任命された、イスラエル初代の王でした。
 しかし、神政政治国家の中での王制の船出は、最初から波乱含みでした。
 モデルは、「外国の王制」(Tサムエル記8章20節)であり、それをイスラエルにあてはめることは、だれが王であってもかなり難しかったろうと思われます。
 
 サウルは、王として、懸命にその働きを生きましたが、結局、神から見切りをつけられ、無惨な最期を遂げるのです。

 ただ、同胞として心あるイスラエル人がサウルの遺体を取り戻し、彼を葬り、断食して悲しんだのは、読む者にある安らぎを与えます。
 神様は、私たちをお造りになり、母の胎内から運びだし、さまざまな役割を与えて生きるようにしてくださいますが(イザヤ書46章3節〜4節)、私たちは、「過つ者」です。サウルだけではなく、その後を継いだダビデも、過ちを犯しています。
 私たちは、彼らを批判したり裁いたりするのでなく、私たちも彼らと同様であるのを、見るのです。その時、私たちをお造りになった神が、自ら人の姿で世に来られた意味がわかるのではないでしょうか。
 「イエス様の十字架上での死と復活までの物語」は、悲劇ではなく、福音です。だからこそ、数々の血なまぐさい物語があるにも拘わらず、私たちは喜んで聖書を開くことができます。

★★★★★

 私たちは第一サムエル記を読み終わりました。第二サムエル記は、ストーリーもTサムエル記とつながっています。

 ここでこの二つの書物の関係について、注解書からお借りして説明しておきます。

 サムエルとは、「神の名」の意味である。新改訳では、本書は、第1、第2の2部に分かれているが、ヘブル語聖書では、もともと1巻であった。70人訳聖書では、列王記とひとまとまりになっており、「王国の第1」〜「王国の第4」と呼ばれている。このうち「王国の第1、第2」はサムエル記、「王国の第3、第4」は、列王記に該当する。(新実用聖書注解・いのちのことば社)





posted by さとうまさこ at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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