2013年02月17日

Coffee Break歴史の書538 U列王記(121)神の人エリヤ(U列王記1章2節〜10節)



 さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は、使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いをたてなさい」と命じた。(U列王記1章2節)
 そのころ、主の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリヤの王の使者たちに会い、彼らに言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。(3節)
 それゆえ、主はこう仰せられる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」それで、エリヤは出て行った。(4節)


 エリヤは、エクロンの神、バアル・ゼブブの神に伺いを立てに行く途中の、アハブの使者たちに会いに行きました。もちろん、主のことばを告げたのです。
 使者たちは、エリヤのことばを受けて、王のもとに戻って行き、エリヤのことばをアハズヤに告げたのです。

 彼らは答えた。「ひとりの人が私たちに会いに上って来て、こう言いました。『あなたがたを遣わした王のところに帰って行き、彼に告げなさい。主はこう仰せられる。あなたが人をやって、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」(6節)
 アハズヤは彼らに尋ねた。「あなたがたに会いに上って来て、そんなことをあなたがたに告げた者は、どんな様子をしていたか。」(7節)
 彼らが、「毛衣を来て、腰に革帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。(8節)


 エリヤが有名だったことは、想像に難くありません。なにしろ、バアルとアシュタロテの預言者九百五十人を向こうにまわして、雨乞いをし、彼のささげたささげ物の上に火を降らせ、三年もの間、一点の雲もなかった乾ききった空に雨雲を呼んで雨を降らせたのです。そのとき、彼は、バアルとアシュタロテの預言者たち全員を、キション川に連れて行って殺したのです。(T列王記18章1節〜40節) その後、烈火のごとく怒ったアハブの妻イザベルに命を狙われ、逃亡しなければならなかったとはいえ、エリヤの力は、語り草になっていたことでしょう。

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 そこで、アハズヤは五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂にすわっていた、彼は、エリヤに、「神の人よ。王のお告げです。降りて来てください」と言った。(9節)
 エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天からイスラエルが下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。(10節)


 聖書の物語は、しばしば私たちの常識に挑戦して来ますが、ここも、そのようです。奇跡や不思議の物語も、単純に言って「人助け」になっていることは、まだしも、受け入れやすいのです。足萎えや中風の人が即座に癒されるとか、死人がよみがえる、五千人の空腹な人に給食するとか。けれども、王の命令で、エリヤのところに使者となった五十人とその隊長が火で焼き尽くされるとなると、おだやかではありません。彼らに、何の罪もないではないかと、にわかに博愛的価値観が顔を出します。

 もし、エリヤを神の人、神の人は「善い人」、神さまは「善い方」、善い方とは「善いことをしてくれる善良な方」と、単純に色づけするなら、あっという間に五十人を殺すエリヤも神様も、「善良」とは思えないわけです。あげくに、「善良でない神さまが、なぜ神様か」と、聖書にクレームをつけてくるというわけです。

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 私も例外ではありませんが、私たちは、自分は「善い人」に分類しがちです。自己嫌悪に陥るような部分もあるし、失敗もあるし、ひょっとして(と及び腰になるのが問題?)人を傷つけることもあるけれど、善いか、悪いかと分ければ、「善い人」となるのです。善い人だから、報われて当然なのです。神様が愛してくださって当然なのです。たまに神社を訪れ、わずか、百円玉一個を賽銭箱に入れるだけでも、通りすがりに、頭を下げてかしわ手を打つだけでも、神さまが、受験の自分を守り、楽しい恋を成就させ、縁談を調え、金もうけをさせ、病気を追い払ってくださる。そんな期待をするのです。

 アハズヤもひょっとして、自分を善い人だと思っていたのでしょう。だから、偶像礼拝をし、生きるか死ぬかの託宣を求めるのさえ、偶像の神を頼ったのです。ほんとうは、彼を守り彼を生かしてくださっているイスラエルの神がおられるのに、彼は、背を向けているのです。それどころか、神の人として、神のことばを預かっているエリヤに腹を立てているのです。エリヤのところに、軍人を遣わしたのは、彼がエリヤを捕えようとしていると思われても仕方ありません。なにしろ、エリヤは、今風に言えば、「指名手配中」です。エリヤは、神の人を神の人とも思わず、神を神とも思わないアハズヤに、神のお力を見せる必要があったのではないでしょうか。








posted by さとうまさこ at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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