2014年12月09日

Coffee Break 歴史の書・エステル記25 聖書物語「ワシュティ」について、エステル記の中のワシュティ、「その後の」ワシュティ


 
 すでに、聖書物語「ワシュティ」を読んで下さった方はお気づきだと思いますが、エステル記は、この物語で、さまざまに膨らませてあります。

 聖書の記事が与える印象と一番異なる点のひとつは、ワシュティとエステルがアハシュエロス王の「ただ一人」の妃ではないことです。もっと言えば、かならずしも身分の高い妃ではなかったことです。ダビデでさえ名前の分かっている妃だけで八人、そのほかに多くのそばめがいたのです。ソロモンは妻七百人そばめ三百人と記録されています。まして、カナンのイスラエルなどその一部に呑みこんでしまうような大ペルシャ帝国の王に、多くの妻がいても不思議ではありません。そのような時代であり、権力者は好色のためだけではなく、また、子孫繁栄のためだけでもなく、政略も含めて多くの妻を娶ったからです。

 そのようなとき、「名目のある妻たち」と「寵妃」は必ずしも一致しなかったでしょう。ワシュティは「寵妃」であり、エステルもワシュティに劣らず王のお気に入りになったということでしょう。二人が王にとって寵愛の対象でなければ、ワシュティを失うことはその代りの妃を求めることにつながったかどうかわかりません。また、エステルが王のお気に入りであるだけでなく、聡明さと勇気を持ち合わせた女性でなくては、モルデカイの命令どおり王に面会し、王に、ハマンの悪を訴えるところまでも行えなかったでしょう。
 二人が、王に寵愛された妃であったことは、そのように重要なポイントなのです。

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 寵妃エステルが、それでも「制約の多い」立場であったことが、エステル記を見るとわかります。
 エステルは王のお気に入りであっても、自分の望むときにいつでも、王に会いに行けるような立場ではありませんでした。王から「お召し」がなくては王に会いに行けないのです。モルデカイに強く促されて、アハシュエロス王と面会する決意をもつエステルの悲痛な覚悟が聖書に記されています。

 エステルはモルデカイに返事を送って言った。(エステル記4章15節)
 「行ってシュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は死ななければならないのでしたら死にます。」(16節)

 こんにち、一夫一婦制の普通の結婚生活で、別居や離婚寸前など特殊な状況下にある場合はべつでしょうが、妻が夫に会うのに「死を覚悟する」なんてことはありえません。
 お呼びがかからない限り面会もできない。違反したら死もありうるなんて、夫婦が対等でない証拠です。妻もまた王の持ち物の一つに過ぎない、その持ち物が大ぜいいる場合、確かにこのような法規も必要でしょう。
 王の歓心を惹きたい女たちが、心の向くまま王に面会に現れては、王はまともな生活ができません。
 王にとって、性愛の対象としての女性そのものは、いつも「足りている」状況だったのでしょう。

 美人コンテストで選ばれた女たちは、婦人部屋(後宮?)に送られた後、一年間も準備期間があったのです。半年は、没薬の油で磨きあがれ、半年は香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することで終わることになっていた(同2章12節)からです。

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 聖書が、書かれた時代背景とその状況を借りた物語、もっといえば、その時代の人に当てて書かれた書物であることを、肝に銘じたいと思います。その中に普遍的な真理があり、それが全巻を通じて、一つのテーマで貫かれていることを、改めて思うのです。

 これを、いまの男女関係、小市民の家庭生活と対比すること自体がナンセンスです。
 美貌ゆえ傲慢であったと、ワシュティを非難するような根拠はひとつもありません。彼女が美貌を誇りに思ったときもあったかもしれませんが、ワシュティはその美貌ゆえに、「災難」を招いたのです。そもそも、王宮に入れられたのも、美貌ゆえだったはずです。

 私は、ワシュティを神に用いられた女性として、書きました。ユダヤ人絶滅を回避するためにワシュティは、無理にでもその地位を下ろされ、エステルに取って代わる必要があったからです。
 そのようなワシュティを、「しあわせ者」として、描きたかったのです。

 
 ご訪問、ありがとうございます。
 
 明日からは、「ヨブ記」には入りたいと思います。引き続いて訪ねてくださいますよう。また、ご教示、ご示唆、ご意見をいただければ、うれしいです。
 




posted by さとうまさこ at 10:27| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする