2015年10月03日

Coffee Break詩編・173 ダビデの信仰にことよせて(詩編108篇1節〜13節)



 詩編108篇は、ダビデの賛歌・詩編57篇7節〜11節の復誦で始まります。

 歌。ダビデの賛歌

 神よ。私の心はゆるぎません。
 私は歌い、
 私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。(詩編108篇1節)
 十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。
 私は暁を呼びさましたい。(2節)
 主よ。私は、国々の民の中にあって、あなたに感謝し、
 国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。(3節)
 あなたの恵みは大きく、天の上にまで及び、
 あなたのまことは雲にまで及ぶからです。(4節)
 神よ。あなたが天であがめられ、
 あなたの栄光が全世界であがめられますように。(5節)

 6節から13節までは、詩編60篇の後半を復誦しています。この箇所ゆえに、この詩のタイトルが「ダビデの賛歌」となっていますが、賛歌自体は、捕囚から帰還後の民の平安と神の守りを願うものです。

 あなたの愛する者が助け出されるために、
 あなたの右の手で救ってください。
 そして私に答えてください。(6節)
 神は聖所から告げられた。
 「わたしは、喜び勇んで、シェケムを分割し、
 スコテの谷を配分しよう。(7節)
 ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。
 エフライムもまた、わたしの頭のかぶと。
 ユダはわたしの杖。(8節)
 モアブはわたしの足を洗うたらい。
 エドムの上に、わたしのはきものを投げつけよう。
 ペリシテの上で、わたしは大声で叫ぼう。」(9節)

 だれが私を要塞の町に連れて行くでしょう。
 だれが私をエドムまで導くでしょう。(10節)
 神よ。あなたは
 私たちを拒まれたのではありませんか。
 神よ。あなたは、もはや
 私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。(11節)
 どうか敵から私たちを助けてください。
 まことに、人の救いはむなしいものです。(12節)
 神によって、私たちは力ある働きをします。
 神が私たちの敵を踏みつけられます。(13節)

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 ダビデは、サムエルからイスラエルの王として「油を注がれた」時から、苦難の道を歩み始めます。イスラエル人にとって、王とはもともと「戦争を先導してくれる指導者」でした。ですから、第一代の王サウルもその生涯を戦いに費やしました。ダビデを娘ミカルの婿としたのちは、ダビデを将軍にしてペリシテ人と戦わせます。(Tサムエル記18章12節〜16節、同19章8節)
 当時、地中海の方から起った新興勢力のペリシテ人はとても強く、サウルがダビデを将軍にしたのは、「イスラエルの英雄で人気者」のダビデを、ペリシテ人と戦わせて殺したいとの意図もありました。
 けれども、ダビデには、神がついておられたのです。

 サウルから逃げ回っていた十年ほどの期間、ダビデは一見神の御思いと外れた行動を取ることがありました。たとえば、ペリシテ人の王アキシュのところに逃れています。自分が王に忠誠な者と見せるため、異邦人の町々を襲って殲滅し、アキシュにはユダの町を襲ったと報告していました。(Tサムエル記27章8節〜12節)
 このような行動は、いまの私たちにから見ると釈然としません。いくら助かりたい一心だといっても、卑怯な奸計です。けれども、このような「汚れた」手段もまた、神は許されたのでしょう。
 同時に、自分のいのちを付け狙うサウルを、簡単に殺すチャンスがあったのに、ダビデは「神に油注がれた者」に剣を向けることはしなかったのです。
 
★★★★★

 捕囚時代、捕囚から帰還するイスラエルの民、迫害の中で生きのびることは、ときには「手を汚す」ような出来事も甘んじなければいけなかったのではないでしょうか。
 戦いの中を生きる時、「きれいごと」だけを選べるはずがありません。
 家族の中の大切な息子であり、父親であり、夫であり、近隣に必要な愛すべき人間に向かって、銃口を突き付けるのが戦争です。
 捕囚後の民にとっても、ダビデの賛美、ダビデの戦いの苦悩は、振り返るに値する「歴史」で、その讃美は、神への愛の深い実感を呼び覚ますものだったのでしょう。

 神よ。私の心はゆるぎません。
 私は歌い、
 私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。(詩編108篇1節)









posted by さとうまさこ at 09:59| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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