2015年11月03日

Coffee Break詩篇・203 私は、すべての全きものにも、終わりのあることを見ました。(詩篇119篇89節〜96節)



 主よ。あなたのことばは、とこしえから
 天において定まっています。(詩篇119篇89節)

 ある時、テレビで宇宙の話を聞いていました。宇宙にははしがあるのかないのか、と昔から問われている疑問に、宇宙物理学者の先生がやさしく答えておられるのです。私たちがいる地球を起点に半円形のドームを描いた模型があって、その範囲は人類がコンタクトを取れると考えられる宇宙だというわけです。それでは、その向こうはないのかと、インタビュアーの女性が聞いているのです。
 先生はユーモアたっぷりに「行ってごらんなさい」
 女性は模型の端から一歩踏み出しました。たぶんバーチャルなドームだったのでしょう。彼女はやすやすとその先に歩き出しました。

 先生は、「先はあるけれど、それがどこまでと言うのは、わからない」という意味の説明をしていました。ドームの端まででも気の遠くなるような距離でした。たぶん、もう何万年人類が続いても、その先へはいけないのでしょう。
  バーチャルな模型がいくつか示されました。円形、ゆがんだ円、凸凹が果てしなく続く平面など、推測される宇宙の形と、その根拠が説明されていました。
 なんとなく、「狐につままれた」とでも言えるような雰囲気が、画面の中にあるように思えました.もちろん、さとうの頭の中も「???!!!」でした。要するに、(少なくとも、私は)理解不能だったわけです。

 なんとなく微笑んでしまいました。
 模範解答は、「神さまのなさることは、人間の頭ではすべてを知ることはできない!だわ」
と思ったのです。
 確実なことは、それでも、それは、「神の定めにしたがって、堅く立っている」ということでしょう!。

 あなたの真実は代々に至ります。
 あなたが地を据えたので、
 地は堅く立っています。(90節)
 それらはきょうも、あなたの定めにしたがって
 堅く立っています。
 すべては、あなたのしもべだからです。(91節)
 
★★★★★

 小さな地震でも、私はおびえます。東日本大震災の時、震源地から遠く離れた東京にいて、震度4〜5と言われる揺れに「世の終わりを思う」気分でした。
 たしかに地球は生きていて、地は、地震や火山の活動で震え、地上は、雨や風、大波で人を脅かすこともあります。ひと時として静止していない気象の中で、人は営営と生きて来て、結構栄えてきて、文明を築いて来て、問題と悩みが山積する中で、繁栄を謳歌しているのです。

 それは、神さまの愛があったからではないでしょうか。神様は、たしかに大洪水もおこされたし、ソドムの町を滅ぼされました。疫病、害虫の災害、ききんなどは、そのたびに大勢の人間を滅ぼしたのです。けれども、また、温暖な気候、豊作、豊かな雨、湧きだす泉などで、人を生き返らせ、子孫を下さり、数えきれない喜びと歌声を、私たちの口に置いて下さったのではないでしょうか。
 もちろん、そのようなことは、私が初めていうのではなく、詩篇の作者たちは、すでに周知していたのです。すべての幸いは神からもたらされる。

 もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、
 私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。(92節)
 私はあなたの戒めを決して忘れません。
 それによって、あなたは
 私を生かしてくださったからです。(93節)
 私はあなたのもの。どうか私をお救いください。
 私は、あなたの戒めを、求めています。(94節)
 悪者どもは、私を滅ぼそうと、
 私を待ち伏せています。
 しかし私はあなたのさとしを聞き取ります。(95節)

 悪者どもは、「敵対している人間」でしょうが、彼らが神から離れているのはサタンが「とりついている」からでしょう。相手がサタンであれば、対抗する有効手段は、神のことばとさとしです。

 私は、すべての全きものにも、
 終わりのあることを見ました。
 しかし、あなたの仰せは、すばらしく広いのです。(96節)

 ただ、私たちは、どのように神のことばに従っても、「肉の終わり」があることは、承知していなければなりません。アダムとエバがら楽園から追放された時から、私たちは神からのいのちの補給を失って、「やがて死ぬ」者となったからです。
 もちろん、この悲しみは、旧約時代の人々のものです。
 続きは、明日。




posted by さとうまさこ at 10:58| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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