2016年02月02日

Coffee Break箴言・41 心の堕落している者は自分の道に甘んじる。善良な人は彼から離れる。(箴言14章10節〜21節)



 心がその人自身の苦しみを知っている。
 その喜びにもほかの者はあずからない。(箴言14章10節)
 悪者の家は滅ぼされ、
 正しい者の天幕は栄える。(11節)
 人の目にはまっすぐに見える道がある。
 その道の終わりは死の道である。(12節)

 どれも、その通りですね。軽妙な警句ともいうべき言葉が続きます。

 笑うときにも心は痛み、
 終わりには喜びが悲しみとなる。(13節)

 人間はつい笑いに満ちた楽しい人生に憧れます。しかし、笑っている時、それが神の祝福に裏付けられていなければ、やがては悲しみに変わります。たとえば、酒に酔って盛り上がった後のむなしさを思い浮かべてみて下さい。

 心の堕落している者は自分の道に甘んじる。
 善良な人は彼から離れる。(14節)

 一度しかない人生,どうせ死ぬのだから楽しくやろうという人がいます。そのような誘惑は私たちの回りに満ちていて、「楽しければいい」と甘んじさせるのです。
 続いて、そのような幼稚さを戒める言葉が続きます。

 わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、
 利口な者は自分の歩みをわきまえる。(15節)
 知恵のある者は用心深くて悪を避け、
 愚かな者は怒りやすくて自信が強い。(16節)

 愚かさは連鎖反応を起こすようです。咎められることが多いわけですが、愚かな人は自分のしていることを咎められると、カッとなって怒るのです。つまり、短気になります。短気さは、それ自体愚かな行いを招きます。

 短気な者は愚かなことをする。
 悪をたくらむ者は憎まれる。(17節)

 そうして、愚かさは、それを受け継ぐ愚か者に伝染するのです。

 わきまえのない者は愚かさを受け継ぎ、
 利口な者は知識の冠をかぶる。(18節)

★★★★★

 悪人はよい人の前で、
 悪者は正しい人の門のところで身をかがめる。(19節)

 正しい者、正しいことが最後には勝利するということでしょう。勧善懲悪は、このような信念なしに、貫くことは難しいのではないでしょうか。

 貧しい者はその隣人にさえ憎まれるが、
 富む者を愛する人は多い。(20節)
 自分の隣人をさげすむ人は罪人。
 貧しい者をあわれむ人は幸いだ。(21節)

 もともと、人は貧しさを蔑むのです。飢えや困窮はだれにとっても恐ろしいことだからです。豊かな人からは、ノウハウを学んだり、仕事をもらったり、おこぼれにあずかることができそうな気がします。しかし、貧しい者は、施しの対象であり、自分の見る光景を悲しい世界に変えてしまいます。ですから、ホームレスなどは、出来れば、身近にいて欲しくないのです。

 聖書は、一貫して貧しい人をあわれむように勧めています。
 聖書で「隣人」とは、同じユダヤ教の人々、イスラエルの人同士のことです。同じ神を戴いている同じ民族であってさえ、貧富の差があると、人は差別をしたり、貧しい人を苦しめたりしたのでしょう。
 モーセの律法は、貧しい者のための法をたくさん定めています(出エジプト記22章22節〜27節、23章11節、申命記15章1節〜11節、24章10節〜22節)
 ここで「幸い」と言われている行いとは。律法をさらに押し広げた同胞愛でしょう。ひとかたまりのパンを与えるにしても、さげすみではなく、あわれみの心で行ないなさいと、戒められている気がします。






posted by さとうまさこ at 10:18| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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