2016年02月04日

Coffee Break箴言・43 寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、(箴言14章31節〜35節)



 寄るべのない者をしいたげる者は
 自分の造り主をそしり、
 貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。(箴言14章31節)

 寄るべのない者とは、たのみとする所がない者のこと(広辞苑)です。古代イスラエルは大家族のきずなが強い族長社会です。孤児ややもめも親戚内で養われたことでしょう。それでも、寿命が短い時代ですから、疫病や戦争があると家族がいなくなり、孤児ややもめになる者もいたのです。また、何かのきっかけで流浪し、イスラエルの民の群れに入ってくる者が「在留異国人」です。
 家族や国家のきずなから離されてしまったこのような人たちは、当時も今も弱者です。

 聖書では、弱者に対する保護が律法として定められています。(出エジプト記22章21節〜27節、23章11節、申命記15章1節〜11節、24章10節〜22節)それでも、人間の常として、弱者は虐げられていたのでしょう。箴言を語る父親は、改めて、弱者を虐げるのを戒めているのです。
 それは、なによりも、造り主(神)に背く行為なのです。ここで、わざわざ、主(主)や神のことを「造り主」と明確にしているのは注目に値します。自分は、造られた者に過ぎないという自覚を促し、同時に、「寄る辺ない者たち」も同じ主から造られたと、自覚させています。

 今日でも、ある人は豊かである人は飢餓ぎりぎりで暮らしています。豊かな日本にいると、貧しいといっても飢餓状態の国々の人々よりはるかに裕福です。根源的な問題は、どこに生まれるかは生まれつき決まっていることです。紛争地帯に生まれるか、先進国に生を受けるかはだれも選べません。障害を持って生まれるとか、貧しい家に生まれるとか、虐待するような親の元に生まれるとかも選べないのです。はっきりしているのは、等しく、人は神によって造られたことです。
 貧しい地域に置かれた人たちも、神が御造りになったのです。何故かわからないけれど、彼らは困難の中に置かれているのです。でも、神を見あげると、私たちは同じ同胞であり、助け合わなければならない「被造物」であることがわかるのではないでしょうか。

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 悪者は自分の悪によって打ち倒され、
 正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。(32節)
 知恵は悟りのある者の心にいこう。
 愚かな者の間でもそれは知られている。(33節)
 正義は国を高め、
 罪は国民をはずかしめる。(34節)
 思慮深いしもべは王の好意を受け、
 恥知らずの者は王の激しい怒りに会う。(35節)

 悪者=愚かな者=恥知らずの者=罪を行う者。正しい者=知恵と悟りのある者=正義で国を治める者=思慮深いしもべ、と、色分けされています。

 ここでいう「国」は、もちろん、国家なのですが、同時に神が治めておられる「神の国」をも意味していると思います。王は目に見える「支配者」であるでしょうが、同時に、神ご自身のことでもあるのではないでしょうか。






posted by さとうまさこ at 10:29| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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