2016年03月05日

Coffee Break箴言・72 王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。(箴言21章1節〜12節)




 王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。
 みこころのままに向きを変えられる。(箴言21章1節)

 農夫が畑の水路の向きを自由に変えられることが、たとえとして用いられている。(新実用聖書注解P879・いのちのことば社)
 神から権威と権力を委託された王は、主のみこころに沿った政治をしなければいけないと戒めています。

 人は自分の道はみな正しいと思う。
 しかし主は人の心の値うちをはかられる。(2節)

 これは、ほんとうに「その通りです」。王のような責任ある立場か否かにかかわらず、主にはかられていることを意識しないといけないと、自戒です。
 つぎは、信仰者にとって本質的なことです。実生活で正義や公義に反していて、その穴埋めに、りっぱないけにえをささげても主には喜ばれないのです。

 正義と公義を行なうことは、
 いけにえにまさって主に喜ばれる。(3節)
 高ぶる目とおごる心――
 悪者のともしびは罪である。(4節)

 高ぶる目とおごる心そのものが、罪ということでしょう。しかし、「自分に自信や確信があれば高ぶり、成果があればおごるのが、人間」嘆息です。
 
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 勤勉な人の計画は利益をもたらし、
 すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。(5節)

 お金の稼ぎ方も箴言のテーマです。神の御心に沿った収穫の仕方は、勤勉から来るのです。計画を立てて汗を流して働くことです。
 
 偽りの舌をもって財宝を得る者は、
 吹き払われる息のようで、
 死を求める者だ。(6節)
 悪者は自分の暴虐に引きずられる。
 公義を行なおうとしないからだ(7節)

 詐欺まがいのやり方で儲ける人は昔からいたのでしょう。問題は、箴言が語られた時代から二八〇〇年ほども経っていて、はるかに便利で豊かな時代になっているのに、詐欺まがいの商売がなくならないことでしょう。それどころか、電子機器の発達で、犯罪も進化しているくらいです。
 振り込め詐欺防止に、銀行や郵便局のATMにこの言葉を貼っておきたいですね。

 罪人の道はねじれている。
 しかし、きよい人の行ないはまっすぐだ。(8節)

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 争い好きな女と社交場にいるよりは、
 屋根の片隅に住むほうがよい。(9節)

 19章13節に、「妻のいさかいは、滴り続ける雨漏り」とあります。女性に対しては、行いが正しいかどうかより、どうやら「口うるささ」が問題になっているようです。
 日本などでも、昔は「女子と小人は養い難し」などと平気で言う人がいました。小人とは子どもではなく、人徳のない人のことですから、これをいっしょくたにするのは女性に対する蔑視ですね。箴言も突然女性への不満が出てくるのです。
 
 悪者のたましいは悪事にあこがれ、
 隣人をあわれもうとはしない。(10節)

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 あざける者が罰を受ける時、
 わきまえのない者が知恵を得る。(11節)

 昔は公衆の面前で刑罰を行ないました。「見せしめ」の効果を狙っていたのかもしれません。わきまえのない者でも、刑罰を見ると、罰を受けるようなことはすまいと思うでしょう。つまり「学ぶ」のです。
 ただし、もともと知恵のある人なら、それはもっと高い次元の知識になります。それは、人の善悪を見分けるような知識です。
 見る目のある知恵ある人から、「悪事をしている」と判断されるような人は、「滅びる」運命にあるのです。

 知恵のある者が学ぶとき、その人は知識を得る。(11節)
 正しい人は悪者の家を見抜く。
 悪者どもは自分の悪事のために滅ぼされる。(12節)







posted by さとうまさこ at 09:51| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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