2016年05月04日

伝道者の書15、知識の益は、知恵がその持ち主を生かすことにある。(伝道者の書7章10節〜12節、箴言1章7節)



 知恵という言葉はあまり使われなくなりました。私達が、いま、ふつう「学び」と考えているものは、知識です。学校やカルチャーセンター、いろんな講座などで学べるのは、知識なのです。マニュアル化した教科書があって、カリキュラムを立てて講義ができ、後でテストをして採点ができるようなもの、それが知識です。一方知恵は、知識を含んだもっと大きな物の見方、考え方、直感を伴なうような選択力ともいうべきものではないでしょうか。

 主を恐れることは知識の初めである。
 愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(箴言1章7節)

 ここにある、知恵と訓戒は、主から来るものであるのは推測できます。口で直接訓戒をするのは父親かもしれませんが、父親は、昔のイスラエルの家庭では神の代理として子供を教育したので、そのような権威のある父を恐れて聞き従うかぎり、知識も意味のあるものとなると、考えられたのです。

 確かに、学位を取ることも、エリートを作る良い大学に行ける知識を学ぶことも大切です。けれども、知識は、神の目からご覧になって「正しい」使われ方をして、初めて意味があるのです。

 難しい科学知識があってサリンを製造したオ●ム信者のように、それを地下鉄に撒いて大量殺人を行なった人たちには、知恵がなかったわけです。
 エリート大学に行ってるような学生が、ただ「殺して見たかった」と言うだけの動機で人を殺すことなども、(彼・彼女)が長く学んできた知識の無意味さを思い知らされるのです。

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 「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。(伝道者の書7章10節)

 たとえば、歴史知識を深めることは、なかなか面白いのです。海外旅行の見聞でも同じです。英語を習って日本語との違いを見るとか、たまには、旅行に出て、日常と非日常を較べてみるとかも楽しいことです。

 それでも、較べた結果、「昔の方が今より良かった」というのは、知恵のないことだというのです。昔の時間がもはや過ぎたものだから、そんな比較は意味がない、後ろ向きであるというのは真実です。
 それ以上に、たぶん、決して両方を完全に「味わって」いるのでも、「知って」いるのでもないからでしょう。神様の目からご覧になったら、私たちが体験している出来事は、全世界のほんの一部で、比べることなどできないのではないでしょうか。

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 資産を伴う知恵は良い。
 日を見る人に益となる。(11節)
 知恵の陰にいるのは、
 金銭の陰にいるようだ。
 知識の益は、
 知恵がその持ち主を生かすことにある。(12節)

 同様に、本来、良い物である資産も知恵を伴なわなければ意味がないと伝道者は言います。確かに、お金は、増やすにも、貯めるにも、使うにも、知恵が要ります。お金があってもなくても、知恵がなければお金の奴隷になります。何も持たない人でも、ほんとうの知恵があれば「金銭の陰にいるようなものだ」という言葉は傾聴に値します。
 知恵は、じつに、その持ち主を生かすと言うのです。







posted by さとうまさこ at 11:03| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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