2016年06月04日

Coffee Break 雅歌18 私の愛する方よ。急いでください。(雅歌8章11節〜14節)



 熱情的な相聞歌は、終わりに近づきました。

 ソロモンにはバアル・ハモンにぶどう畑があった。
 彼はぶどう畑を、守るものに任せ、
 おのおのその収穫によって
 銀千枚を納めることになっていた。(雅歌8章11節)
 私が持っているぶどう畑が私の前にある。
 ソロモンよ。あなたは銀千枚、
 その実を守る者には銀二百枚。(12節)

 ソロモンのぶどう畑と「私の」ぶどう畑が、比べるように並んでいるのは何を意味しているのか、「思わせぶり」です。註解書の解説もよくわからない、などといったら顰蹙(ひんしゅく)でしょうか。額面通り財産の比較などではなさそうです。甘いぶどう酒のもととなるぶどう畑、それを男女の甘い情念にたとえるのは自然なことかなと思います。
 ソロモンの広大なぶどう畑のそれぞれの管理人とは、ソロモンのたくさんの妃やそばめを象徴しているのでしょうか。

 多くの妻がいるような男性との結婚は、今日の私たちには考えられないことですが、もちろん、聖書の神の認めておられるところではありません。
 しかし、初めは、アダムとエバで一対であった男女比は、罪の世界ではバランスが崩れ、さらに人の性質のため、富の偏在のため、結婚制度も神の御心から離れてしまっていたのは、事実です。イスラエルだけの事ではなく、古今東西、世界の多くの国々で、権力や富のある人が複数の女性を独り占めする制度がまかり通っていました。

 「死のように強い愛」や、「よみのように激しいねたみ」は、それが、一夫多妻のなかでどのように折り合いをつけられていたのか、想像するしかありません。
 少なくとも、純粋に花婿を想う処女の花嫁と、すでに多くの女性を手元においている花婿では,温度差があったはずだと、21世紀を生きる私は思うのです。

 伝道者の書のつぎの言葉が思い出されます。

 わが子よ。多くの本を作ることには限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。(伝道者の書12章12節)

★★★★★

 雅歌は男性と女性の対話で結びとなっています。

 庭の中に住む仲間たちは、
 あなたの声に耳を傾けている。
 私にそれを聞かせよ。(13節)

 男性は、「いまだ、知らない」女性の声を聞きたいと所望します。

 私の愛する方よ。急いでください。
 香料の山々の上のかもしかや、
 若い鹿のようになってください。(14節)

 女性は、はや男性を寝室に誘っているかのようです。

 明日は、雅歌全体を見回して、私の感想を書きたいと思っています。


 

posted by さとうまさこ at 10:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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