2016年08月03日

Coffee Breakエレミヤ書52、わたしは、彼らを、荒野の風に吹き飛ばされるわらのように散らす。 (エレミヤ書13章8節〜27節)



 すると、私に次のような主のことばがあった。(エレミヤ書13章8節)
 「主はこう仰せられる。わたしはユダとエルサレムの大きな誇りを腐らせる。(9節)
 わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。(10節)
 なぜなら、帯が人の腰に結びつくように、わたしは、イスラエルの全家とユダの全家をわたしに結びつけた。――主の御告げ――それは、彼らがわたしの民となり、名となり、栄誉となり、栄えとなるためだったのに、彼らがわたしに聞き従わなかったからだ。(11節)

 このたとえも、難しい解釈なしに、理解できるのではないでしょうか。イスラエルの民と「主」は帯で結び合わされているのです。ところが、その帯が腐ってボロボロになってしまっては、もう神様からはなれてしまうのです。帯は、「信仰」を意味しているのでしょう。

 あなたは彼らにこのことばを伝えよ。『イスラエルの神、主は、こう仰せられる。すべてのつぼには酒が満たされる。』彼らはあなたに、『すべてのつぼに酒が満たされることくらい、私たちは知りぬいていないだろうか。』と言うが、(12節)
 あなたは彼らに言え。『主はこう仰せられる。見よ。わたしは、この国の全住民、ダビデの王座に着いている王たち、祭司、預言者、およびエルサレムの全住民をすっかり酔わせ、(13節)

 すべてのつぼに酒が満たされるとは、楽しむための衣食や娯楽が十分にあることでしょうか。今の時代でさえ、繁栄というのを、十分に飲み食いでき、酔ったように楽しめる状態を考えています。たとえば、いまの日本の社会です。「なんとか食べていけるなら満足」という価値観ではありません。よりおいしい物を、より楽しめる物を、舌だけではなく、目にも快く、気分を高め、辛いこともきつい仕事も相殺してくれるような「楽しい食卓」「おいしいお酒」が求められています。

 3,40年前には、日本の食料の半分以上が輸入に頼っているから、いつか飢餓が来るかもしれないといった警告がどこかにあったのですが、いまでは、明日の繁栄を疑う者はないような雰囲気です。とりわけ、豊かな者たちは、ほとんど「手に入らない物はない」繁栄の中で、多くの痛みを先送りしているのです。

 ここで指摘されている「王座に着いている王たち、祭司、預言者、およびエルサレムの全住民」は、まさにそのように振る舞っていたのでしょう。
 しかし、主は、仰せなのです。

 彼らを互いにぶつけ合わせて砕く。父も子もともどもに。――主の御告げ――わたしは容赦せず、惜しまず、あわれまないで、彼らを滅ぼしてしまおう。』」(14節)

★★★★★

 主のことばを受けて、エレミヤは人々に語ります。

  耳を傾けて聞け。高ぶるな。
  主が語られたからだ。(15節)
  あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。
  まだ主がやみを送らないうちに、
  まだあなたがたの足が、
  暗い山でつまずかないうちに。
  そのとき、あなたがたが光を待ち望んでも、
  主はそれを死の陰に変え、暗やみとされる。(16節)

 でも、このような警告を民は足を止めて聞くのでしょうか。たぶん、聞こうとしていないのですね。
 自分の民が捕囚に連れ去られるのに、聞いてもらえないエレミヤは、泣いています。

  もし、あなたがたがこれに聞かなければ、
  私は隠れた所で、
  あなたがたの高ぶりのために泣き、
  涙にくれ、私の目は涙を流そう。
  主の群れが、とりこになるからだ。(17節)

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 ここからは、ふたたび「主」のことばです。支配者である王と王母に対する預言です。エホヤキン王とその母を指します。エホヤキンは18歳で父エホヤキムのあとを継いだのですが、3か月後にはバビロンに捕囚となってしまいました。(新実用聖書注解・いのちのことば社)>(U列王記24章10節〜20節)

  王と王母に告げよ。
  「低い座に着け。
  あなたがたの頭から、
  あなたがたの輝かしい冠が落ちたから。」(18節)
  ネゲブの町々は閉ざされて、
  だれもあける者はいない。
  ユダはことごとく捕え移され、
  ひとり残らず捕え移される。(19節)

 ネゲブはユダの南端地域です。北からやってきたバビロン軍がネゲブまで侵略しているというのは、ユダが全滅することを意味します。

  あなたがたの目を上げ、
  北から来る者たちを見よ。
  ――あなたに賜わった群れ、
  あなたの美しい羊の群れは
  どこにいるのか。――(20節)
  あなたは彼らを最も親しい友として、
  自分に教えこんでいたのに。
  主があなたを罰するとき、
  あなたは何と言おうとするのか。
  苦痛があなたを捕えないだろうか。
  子を産む女のように。(21節)

  あなたが心の中で、
  「なぜ、こんなことが、私の身に起こったのか。」と
  言うなら、
  それは、あなたの多くの咎のために、
  あなたのすそはまくられ、
  あなたのかかとがそこなわれたからだ。(22節)
  クシュ人がその皮膚を、
  ひょうがその斑点を、変えることができようか。
  もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、
  善を行なうことができるだろう。[23節]

  わたしは、彼らを、
  荒野の風に吹き飛ばされるわらのように散らす。(24節)
  これがあなたの受ける割り当て、
  わたしがあなたに量り与える分である。
  ――主の御告げ――
  あなたがわたしを忘れ、
  偽りに拠り頼んだためだ。(25節)
  わたしも、あなたのすそを、
  顔の上までまくるので、
  あなたの恥ずべき所が現われる。(26節)
  あなたの姦淫、あなたのいななき、
  あなたの淫行のわざ――
  この忌むべき行ないを、
  わたしは、丘の上や野原で見た。
  ああ。エルサレムよ。あなたは
  いつまでたっても、きよめられないのか(27節)











posted by さとうまさこ at 09:40| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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