2017年01月02日

エゼキエル書32 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。(エゼキエル書11章17節〜20節)



 エゼキエルは幻を見ています。主がエゼキエルをエルサレムに運んで来られたのです。そこでエルサレムに残っている者の中の、有力な政治家であるベラテヤの死を見ます。エゼキエルは、これで、神はイスラエルをことごとく滅ぼされるつもりだと嘆きます。しかし、主は、すでに異邦の地に散らされた人々の中に「聖所がある」と仰せになります。神が捕囚の民の上におられるからこそ、エゼキエルも召されることになっているのです。

 そして、神は捕囚の民の帰還を約束して下さるのです。(エゼキエル書11章17節)

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 それは、すばらしい約束です。

 彼らがそこに来るとき、すべての忌むべきもの、すべての忌みきらうべきものをそこから取り除こう。(エゼキエル書11章18節)
 わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。(19節)

 主ご自身が、戻ってくる民の心に「新しい霊を与えて」下さるのです。石のようなかたくなな心に代えて、温かい血が流れるやわらかい肉の心を与えて下さるのです。

 それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なうためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。(20節)

 出エジプト記6章6節7節で、神は、出エジプト記の真意がまだ理解できないモーセに仰せになっています。

 わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきにとによって、あなたがたを贖う。(出エジプト記6章6節)
 わたしは、あなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。(同7節a)

 これでわかることは、このことばは、神とイスラエルの民との関係の原点になることばです。
 捕囚のなかにあるエゼキエルは、神がこのように告げて下さるのを聞いて、どれほど希望の光を見たことでしょう。






posted by さとうまさこ at 10:25| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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