2017年01月05日

エゼキエル書35 わたしが主であることを知ろう。(エゼキエル書12章8節〜23節)



 翌朝、私に次のような主のことばがあった。(エゼキエル書12章8節)
 「人の子よ。反逆の家、イスラエルの家は、あなたに、『何をしているのか。』と尋ねなかったか。(9節)
 彼らに言え。『神である主はこう仰せられる。この宣告は、エルサレムの君主、およびそこにいるイスラエルの全家にかかわるものである。』(10節)

 実演による預言は、ちょっと想像しただけでも奇妙なものです。見た人たちは、エゼキエルが祭司であり、預言者であるだけに注目したことでしょう。主は、それをご存知の上でエゼキエルに、「イスラエルの家に語るべき言葉」を授けられるのです。

 また言え。『私はあなたがたへのしるしである。私がしたようなことが彼らにもなされる。彼らはとりことなって引いて行かれる。(11節)
 彼らのうちにいる君主は、暗いうちに荷物を背負って出て行く。出て行けるように壁に穴があけられる。彼は顔をおおうであろう。彼は自分の目でその地をもう見ないからである。』(12節)

 これは、ゼデキヤ王の身の上に、実際に実現したことです。エルサレムが崩壊したとき、ゼデキヤは戦士たちと夜陰に乗じて逃げ出しました。(U列王記25章1節〜5節) しかし、カルデヤ(バビロン)の軍勢が追いついたとき、王の親衛隊もみんな逃げ出してしまい、王は捕えられます。リブラにいたネブカデネザルのもとに連れて行かれるのです。
 そこで起こったことは、王の息子たちが目の前で虐殺され、そのあと、ゼデキヤは目をくりぬかれてバビロンに引かれていくのです。(同7節)

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 わたしはまた、彼の上にわたしの網をかけ、彼はわたしのわなにかかる。わたしは彼をカルデヤ人の地のバビロンへ連れて行く。しかし、彼はその地を見ないで、そこで死のう。(13節)
 わたしはまた、彼の回りにいて彼を助ける者たちや、彼の軍隊をみな、四方に追い散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う。(14節)
 わたしが彼らを諸国の民の中に散らし、国々に追い散らすとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。(15節)
 彼らが行く先の諸国の民の中で、自分たちの、忌みきらうべきわざをことごとく知らせるために、わたしが彼らのうちのわずかな者を、剣やききんや疫病から免れさせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(16節)

 ここでも、主のことばは、「わたしが主であることを知ろう」で締めくくられています。

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 ついで、私に次のような主のことばがあった。(17節)
 「人の子よ。震えながらあなたのパンを食べ、おののきながら、こわごわあなたの水を飲め。(18節)
 この地の人々に言え。『神である主は、イスラエルの地のエルサレムの住民について、こう仰せられる。彼らは自分たちのパンをこわごわ食べ、自分たちの水をおびえながら飲むようになる。その地が、そこに住むすべての者の暴虐のために、やせ衰えるからである。(19節)
 人の住んでいた町々が廃墟となり、その地が荒れ果てるそのとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。』」(20節)

 とことん行き詰まって、悲惨が実現するまで、「主」を認めることができないのは、悲しいことですが、事実、そうだったのでしょう。
 それでも、それゆえ、そんな時には、希望的観測をする者がいたようです。

 さらに、私に次のような主のことばがあった。(21節)
 「人の子よ。あなたがたがイスラエルの地について、『日は延ばされ、すべての幻は消えうせる。』と言っているあのことわざは、どういうことなのか。(22節)
 それゆえ、神である主はこう仰せられると言え。『わたしは、あのことわざをやめさせる。それで、彼らはイスラエルでは、もうくり返してそれを言わなくなる。かえって、その日は近づき、すべての幻は実現する。』と彼らに告げよ。(23節)

 厳しい預言は偽りである。主のさばきが来ることはない。このようなことを言う偽預言者は、エレミヤに対しても現れました。この現象について、もう少し考えてみたいと思います。








posted by さとうまさこ at 09:55| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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