2017年04月02日

エゼキエル書119 それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。 (エゼキエル書34章1節~11節)



 次のような主のことばが私にあった。(エゼキエル書34章1節)
 「人の子よ。イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、彼ら、牧者たちに言え。神である主はこう仰せられる。ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。牧者は羊を養わなければならないのではないか。(2節)

 次の預言は、イスラエルの牧者たちに対するものです。牧者とは、この場合、指導層の人間を指しています。王、祭司、民の長老などです。聖書では、民の上に立てられた権威は神から来たものです。神が召されて王や指導者にされたのです。民が王や指導者に従うよう命じられているのは、それが「神の権威」によるものだからです。それだけに、上に立つ者は、神に対して責任があるのです。神の権威にふさわしく民を愛し、民を養わなければなりません。
 ところが、イスラエルの指導者といえども、おうおうにして、横暴な暴君になっていたのでしょう。

 あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊をほふるが、羊を養わない。(3節)
 弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で彼らを支配した。(4節)

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 彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった。(5節)
わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、わたしの羊は地の全面に散らされた。尋ねる者もなく、捜す者もない。(6節)

 神の民(イスラエルとユダ)が捕囚として、各地に散らされるような運命をたどらなければならないのは、牧者が牧者としての役目を果たさず、私欲を貪り、羊を放置していたからだと、糾弾されています。羊の養いの中には、もとより外敵と戦って羊を守ることも含まれています。
 このような、牧者たちに対して、神は怒っておいでです。

 それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。(7節)
 わたしは生きている、――神である主の御告げ―― わたしの羊はかすめ奪われ、牧者がいないため、あらゆる野の獣のえじきとなっている。それなのに、わたしの牧者たちは、わたしの羊を捜し求めず、かえって牧者たちは自分自身を養い、わたしの羊を養わない。(8節)
 それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。(9節)
 神である主はこう仰せられる。わたしは牧者たちに立ち向かい、彼らの手からわたしの羊を取り返し、彼らに羊を飼うのをやめさせる。牧者たちは二度と自分自身を養えなくなる。わたしは彼らの口からわたしの羊を救い出し、彼らのえじきにさせない。(10節)

 これは、神様の、牧者たちへの解任宣言です。神の御心を行なわない指導者たちは、神によって立てられたように、神によって倒されるのです。
 でも、心配いりません。神様は、指導者がいなくなった民に言われます。

 まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。(11節)







posted by さとうまさこ at 07:42| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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