2017年04月03日

エゼキエル書120 わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、 (エゼキエル書34章12節~23節)



 牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。(エゼキエル書34章12節)

 イスラエルの牧者――かつて、神によって任命された指導者たちは解任されるのです。その後で、でも、神ご自身が「わたしの羊を救い出して、世話をする」と言って下さるのです。

 わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。(13節)
 わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。(14節)
 わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ――(15節)

(すべてのところから)救い出して下さった後は、養って下さるのです。神様が養って下さる時は、山岳地にあるイスラエルでさえ、「良い折」「超えた牧場」になるのです。

 わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。(16節)

 これは、旧約聖書にあるう預言のことばですが、もとより、新約の時代でも有効ですよね。イエス様は、失われた者を捜し出し、迷い出た者を連れ戻し…、イエス様は、このためにお出でになったんだと気が付くのです。(マタイの福音書15章24節)

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 わたしの群れよ。あなたがたについて、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、羊と羊、雄羊と雄やぎとの間をさばく。(17節)
 あなたがたは、良い牧場で草を食べて、それで足りないのか。その牧場の残った分を足で踏みにじり、澄んだ水を飲んで、その残りを足で濁すとは。(18節)
 わたしの群れは、あなたがたの足が踏みつけた草を食べ、あなたがたの足が濁した水を飲んでいる。(19節)
 それゆえ、神である主は彼らにこう仰せられる。見よ。わたし自身、肥えた羊とやせた羊との間をさばく。(20節)

 ここに来られる主は、救い主、癒し主であると同時に、裁き主のようです。羊と羊、雄羊と雄やぎの間を裁いて下さるのです。神が入れて下さった「神の国イスラエル」で、民を養うのではなく、自分だけが青草を食べ、清流を濁し、残りの羊を弱らせています。

 あなたがたがわき腹と肩で押しのけ、その角ですべての弱いものを突き倒し、ついに彼らを外に追い散らしてしまったので、(21節)
 わたしはわたしの群れを救い、彼らが二度とえじきとならないようにし、羊と羊との間をさばく。(22節)
 わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。(23節)

 横暴な牧者の代わりに来るのは、ダビデです。イスラエル王国の二代目の王ダビデのことでないのは、自明です。ダビデはこの時代よりも550年ほども昔に死んだ人です。けれども、神は、ダビデの家に「救い主」を送ってくださる約束をしておられます。
 ここでは、神が約束された救い主――イエス・キリストが預言されていると見るのはしぜんです。



   ★聖書は新改訳聖書を使っています。



posted by さとうまさこ at 09:45| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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