2017年04月15日

エゼキエル書132 わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただひとりの牧者となる。(エゼキエル書37章26節~28節)



 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。(エゼキエル書37章26節)

 エゼキエル書の預言は、ここでこの時代を超越してしまっています。それは、新約の民である私たちには、「わかる」ことです。神様が平和の契約を結んでくださる。それはとこしえの契約になるというのです。

 神様が私たち人間との間に契約を結んでくださって、聖書の歴史が前進してきたように思います。ノア契約、アブラハム契約、シナイ契約、モアブ契約、ダビデ契約。最初は、ただ一人の人ノアに顕現されて、祝福と繁栄をお約束になった神が、しだいに、家族単位に、民族単位に、国単位にと契約の対象を広げ、やがて、全人類への契約となって完結する「新しい契約」で、聖書が完結する、これは、キリスト者の希望の源です。

 捕囚の民にとっては、イスラエルの山々に帰還することが「救い」であり、「願い」であったでしょうが、神は、もっと先のまぼろしについて言及しておられるのではないでしょうか。キリスト(救い主)による真に平和で、とこしえの契約です。
 この預言が当時の人たちには全面的に理解できない物であっても記録されたところに、神のことばのリアルがありますし、自分の理解などにこだわらず預言した預言者の価値を思います。

★★★★★

 おりしもイースターを迎えました。イエス・キリストが十字架刑で、全人類の罪を背負って(一度)死なれた痛みと、三日目によみがえられた喜びとを新たに噛みしめる記念日です。
 この奥義で、もはや聖所も祭司も預言者も廃され、直接、「神の聖所」を「内において下さる」神を知った時、もはやどこにも連れ去られない「新しい神の民」の誕生と「永遠の平和」が約束されているのを知らされていると思わざるを得ません。

 この箇所を、現代史の中のイスラエル国家のあり方と結びつけて解説する向きもあります。しかし、不明なさとうにとっては、現在、以下の部分についての、感想を書くことさえできないのを告白します。

 わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(27節)
わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知ろう。」(28節)








posted by さとうまさこ at 10:47| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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