2017年05月19日

エゼキエル書162 いのちの水が地を満たす日2(エゼキエル書47章12章、ヨハネの福音書7章37節~38節、Tコリント6章19節20節)



 神殿の聖所から流れる水は、千年王国を美しい理想郷にしました。たがいに、「食い合わない」世界は夢のような平和な世界です。これが、聖書に示されていることに、私は最初、たいへん驚きました。イザヤ書11章6節~9節の場面は、じつは大昔何かの絵で見たことがあるのです。たぶん、仏教的な世界観として絵図化されているのを、子供の時に見たのです。とすると、仏教が、このようなアイディアを取り入れたのでしょうか。

 言えることは、このような「平和の世界」「究極の理想郷」は、いつか出現する空想の世界ではないということではないでしょうか。
イエス様は、仰せです。

 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』(ヨハネの福音書7章37節~38節)

 イエス様は、「生ける川の水」は、遠い未来の事ではなく、今すぐ、それもひとりひとりが受け取ることができると仰せになっているのです。

 イエス様を信じさえすれば、なんと、その水は、私たちひとりひとりの心の奥底から流れ出るようになると断言されるのです。「自分の心の奥底から、いのちの水が流れ出るなんて! 信じられますか」と言いたいような気持になります。
 でも、流れ出るんですね。

★★★★★

パウロは、コリント人への手紙(T)の中で、つぎのように書いています。

 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(Tコリント6章19節)

 続けて言います。

 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。(同20節)

 私たちが「神の宮」であるなら、私たちを代価を払って買い取って下さった方を信じるなら、当然、そこから「生ける命の水」がわき出てくるのですね。
 これは、千年王国ではなく、イエス様がおいでになった2000年前から、そして、もちろん、今も、私たちが見ることができる美しく平和な光景だと、約束されているのですね。感謝!!







posted by さとうまさこ at 09:56| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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