2017年09月11日

ヨエル書3 「主の日は近い」(ヨエル書1章15節〜20節)



 13節14節で、ヨエルは、祭司たちへの悔い改めと、主の宮での祀りを命じています。イスラエルの不義に対しては、民も王も長老も責任があるのですが、宮に入って主と向き合うのは、祭司の役割りです。
 ヨエルが嘆きと悔い改めを勧告するのは、いなごによる大災害の故ではない。「主の日」まじかに迫っているからである。(新実用聖書注解・P1172)

 主の日、つまり、神がお出でになる日、、つまり、窮乏の背後に、神が立っておられると言っているのです。

ああ、その日よ。主の日は近い。
全能者からの破壊のように、その日が来る。(ヨエル書1章15節)
私たちの目の前で食物が断たれたではないか。
私たちの神の宮から
喜びも楽しみも消えうせたではないか。(16節)
穀物の種は土くれの下から干からび、
倉は荒れすたれ、穴倉はこわされた。
穀物がしなびたからだ。(17節)
ああ、なんと、家畜がうめいていることよ。
牛の群れはさまよう。
それに牧場がないからだ。
羊の群れも滅びる。(18節)

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 以下はヨエルの叫びですが、これは、イスラエルのすべての人の叫びを代弁しているのでしょう。

主よ。私はあなたに呼び求めます。
日が荒野の牧草地を焼きつくし、
炎が野のすべての木をなめ尽くしました。(19節)
野の獣も、あなたにあえぎ求めています。
水の流れがかれ、
火が荒野の牧草地を焼き尽くしたからです。(20節)

 日照りや干ばつ、不毛の地に立ち尽くす苦しさは、モンスーン地帯の湿潤な気候で暮らす私(たち)には、想像もつかないのですが、干上がった地に火事が発生して燃えつくしていく様子は、すでに物質的窮乏を超えて、人々に死が迫っているのを意味しているように思います。





posted by さとうまさこ at 10:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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