2018年03月15日

Coffee Break 聖書通読エッセイ(旧約聖書)をふりかえってA




 2010年8月、すでに開設していたブログを使って、聖書エッセイを発表していこうと思い立ったとき、それがどのようなものになるのか想像もついていませんでした。それまでも駆け足で聖書を通読したことはあり、また、聖書箇所によっては、説教や学びの箇所として用いられたため、ある程度熟読していました。
 けれども、聖書全体のテーマや流れを概観する、そこから神のメッセージをくみ取ることなど、思いも及ばないことでした。聖書は、長い歴史とともに編纂された書物で、そのテーマは神です。「神とはどのような存在か」「神にとっての人とは何か。人にとって神とは?」

 聖書は一見、有限の存在である人間の必要から生まれた、人間の頭脳の産物という見解があります。他の書物と同様、人間が作った本なら、いかに複雑に不思議に見えようと、批判的未読と研究を重ねれば、人体が元素とDNAに還元できるように、しくみを見通せるはずだ。そうすれば、正体のわからない「聖霊の導き」や「神の御計画」などの意味を付加しないで、したがって、聖書に影響を受けないで、したがって、宗教的神秘にとらわれないで、理性的に生きることができる。そのような見解があることは事実です。
 今日では、見えるものの背後にある「何か」を見たり、聞いたりすることは、反理性的だと思われがちです。狂気と紙一重かもしれず、人を「惑わす」かもしれないからです。歴史を見ればキリスト教も多くの間違いを犯し、その解釈において多くの教派を生んだり、新しい宗教を枝分かれさせたりもしてきました。
 理性的、合理主義的、現実的な現代人なら、宗教には節度を持って接する、また、宗教には節度を持った活動をしてもらうようにと、線引きします。

★★★★★

 教会では、聖書を読むように勧められます。聖書についての注解書や参考書も、比較的手軽に手に入ります。聖書の手引きになるしっかりした学習用、研究用の文章を、無料で公開してくださっているサイトもあります。
 プロテスタント教会は、聖書信仰に立つのですから、すべてのクリスチャンは聖書を座右において、ことあるごとに開いています。同時に、何十年も教会に通っていながら、なかなか自信を持って神のことばをほかの人に伝えることができない人が多いように見えます。もちろん、自分も例外ではありません。日常生活の多くの局面で、聖書の言葉を当てはめることができて感謝をしていても、未信徒の方に、会話の中でさりげなくそれを伝えることができません。

 いわゆる通読ではなく、立派な解説書を読むのでもなく、一度自分で聖書の森に分け入ってみたいと思った結果、聖書を読みながら書く「エッセイスタイル」にたどり着いたのです。
もともと、一信徒として自分のために書いたエッセイです。発表したのは、人に公表することで自分を叱咤するためです。
 聖書は、読み進むうえで、楽しいこともたくさんありました。たどたどしい足取りではなく、楽しく賛美を歌いたい時間の喜びも貴重なものでした。願わくば読みに来てくださった方に、その楽しさをおすそ分け出来ていたらと思うのです。

 本日は詩歌と知恵文学のURLをご紹介させてください。

 ヨブ記    http://joshuacanan.seesaa.net/article/410396216.html?1521081523
 詩篇     http://joshuacanan.seesaa.net/article/416902447.html?1521081673
 箴言     http://joshuacanan.seesaa.net/article/431609650.html?1521081380
 伝道者の書  http://joshuacanan.seesaa.net/article/436850976.html?1521081771
 雅歌     http://joshuacanan.seesaa.net/article/438003417.html?1521081282







posted by さとうまさこ at 11:50| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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