2018年03月20日

Coffee Break 聖書通読エッセイを振り返ってE 神の御計画、



 聖書通読の間中、私の足を縛って前に進めなくするものはたくさんありました。なんといっても、その第一は、自分の知識と知恵の少なさでしょう。箴言に、「神を知ることは知識の初め」とありますが、その通り、自分は神を知ることから学ばなければならなかったのです。
 聖書の一ページ目から、私が教えられなければならなかったのは、「神とはどういう方か」です。多少は知っているわけです。教会では、また、多くの信仰書や解説書は、神がどのような方かを、かならず説明しています。「神は、霊です。創造主であられ、全宇宙を創造され、永遠から永遠までを「現在として」自存しておられる方。全知全能で、あらゆる存在物に対して主権をお持ちの方。人となって世に来られ、私たちの罪を贖ってくださった方。」

 天地の創造から始まる聖書の物語は、初めから神が主役であり、すべての被造物はこの方に依存していると解るように、書かれています。また、すべての話は、このような神のご性質にいくらかでも異を唱えるなら、つまずくのです。
 
 ★★★★★

 モーセ五書は、創造主なる神と人とのかかわり――楽園での蜜月から、堕罪、追放。神から離れた人間の苦労と迷い、それを救い出そうとされる「神の御計画」が示されています。

 アブラハムを召しだされて、「救いの民」を育成され、やがて、彼らをカナンに入れるという約束に、神は、人に忍耐と愛をもって付き合ってくださいます。「約束の地カナン」を目前にして、閉じられるモーセ五書には、雄渾な希望と展望があります。まさかそれが、イスラエル王国の凄惨な亡国の憂き目で終わることなど、考えられないのです。

 それゆえ、救い主が待望され、キリストの来臨がリアリティをもって迫ってくる、その物語には、驚かされるばかりです。
 モーセ五書は、ヨシュア記以降と異なるURLです。改めてご紹介します。よろしければ、ご覧ください。


 
 モーセ五書   http://vineyard1.seesaa.net/article/221532259.html?1313971292





 

posted by さとうまさこ at 11:50| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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