2018年03月31日

Coffee Break 聖書通読エッセイを振り返ってI 感謝と祈り



 聖書通読エッセイを始めたころは、心配も気負いもありました。「聖書って、この聖書だよね」と、机の上の聖書を見つめていつまでもため息をついていることもありました。聖書知識の問題だけではなくて、何かもっと奥深いところで、それは触れてはいけない物で、でも、触れなければならない、開いて見なければならない・・・。知識に対する自信のなさの問題? 信仰に対する確信の問題? 
 いえいえ、聖書の前で、身を隠したい自分がいるのです。
 宝物だと聞かされているけれど、危険物かもしれず、いったん扉を開いたら、噴出してくるのは心身をいやしてくれる温泉水ではなくて、ひどいやけどをする熱湯かもしれない。まあ、毎日のことだというのに、聖書を開くまでに、そのようなためらいの時間があったのです。

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 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に、身を隠した。(創世記3章8節)

 通読そのものは、確かに「ルーティーン」になって行きました。ですが、ためらわせるものがあるのです。流しの茶碗を取り上げて、反射的にスポンジたわしでこするように「作業をする」ことはできないのです。
 聖書を開くと、そこに神様がおられる!!
 お会いするのは躊躇われ、お会いできないと考えたら、もっと心配です。
 
 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたはどこにいるのか。」(同9節)

 それにしても、感謝です。とにかく聖書の扉(表紙)は、毎朝開かれたし、細い道のりだったけれど、通読は一応、旧約聖書の終わりまで終えることができたのです。
 病気らしい病気もせず、事故らしい事故にも合わず、同じことを7年半続けられたのは、ただ神様のあわれみでした。
 70年以上生きて来て、無事である意味がこれほど身に迫ったことはありませんでした。ゴールのテープを切って、ゆっくりとトラックを一周しながら観衆に手を振る余裕があれば、「絵になった」ことでしょう。でも、やっとやっとで倒れ込んで、何日も熱の中にいました。

 嬉しいことに、聖書箇所が、ぐるぐる出てくるのです。
 その断片をひとつ・・・。

 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。(T列王記19章5節)
 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった(6節)
 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。(7節)

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 明日はイースターです。
 そうだった。救い主は、すでに2000年前に地上にお出でになっていた! 人は、新しい契約の中を歩み始めていたんだ!!
 思わず、深くひざまずくのです。そして、申し上げました。

 主よ。助けてください。これからは、隠れないように、がんばりますから。




   明日から、装いも新たに、新約聖書の通読エッセイに入ります。
   URLが変わりますので、よろしくお願いします。
   http://genisis-a.seesaa.net/





posted by さとうまさこ at 10:45| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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