2011年09月02日

Coffee Breakヨシュア記9 ラハブ(ヨシュア記2章)




 ラハブがイスラエルの斥候を匿(かくま)い、引き換えに、自分たち一族のいのちを保障して貰うところは、小説の一場面のように鮮明に描かれています。

「どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。(ヨシュア記12節)、
 私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属するものを生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」(13節)
 その人たちは言った。「あなたがたが、私たちのことをしゃべらばなければ、私たちはいのちにかけて誓おう。主が私たちにこの地を与えてくださるとき、私たちはあなたに真実と誠実を尽くそう。」(14節)


 ラハブの家は、城壁の中に建て込まれていました。ですから、窓は壁の中にあって、城外を見ることができたのです。
 ラハブは窓から綱で、二人の斥候を吊りおろしました。降りる者は綱を体に巻き、上から少しずつ綱を延ばすのでしょうか。じっさいには、迫力と緊張の場面でしょうね。夜だったようですが、誰かに気づかれたら大変です。ラハブの家では,父や兄総出で、綱を握っていたかもしれません。

 彼らを送り出す前、ラハブは言います。
「追っ手に出会わないように、あなたがたは山地のほうへ行き、追っ手が引き返すまで三日間、そこで身を隠していてください。それから帰って行かれたらよいでしょう。」(16節)

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 脱出直前、二人の斥候はラハブに言うのです。
「私たちが、この地に入ってきたなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。」(18節)
 こうして、彼女は彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は窓に赤いひもを結んだ。(21節)


 ラハブの家の中にいるものは、だれであれ殺されないとの約束です。
 ラハブが何歳くらいの女性かわかりませんが、家族にとっては、なかなか頼りがいのある娘であり、姉妹です。
 彼らはラハブの忠告どおり山に行って、隠れていました。斥候に選ばれるような男は、若くて頑丈で俊敏、その上、機転が利く者なのです。追っ手は街道を捜したのですが、彼らを見つけることができなかったので、三日目に引き返しました。その後、斥候は帰途に着きました。
 彼らは帰着すると、ヨシュアに見たこと、経験したことをことごとく話しました。
 
 それから、ヨシュアにこう言った。「主はあの地をことごとく私たちの手に渡されました。そればかりか、あの地の住民はみな、私たちのことで震えおののいています。」(24節)

 四十年前カナンを偵察した十二人の斥候のうち、「カナンには強い民がいるけれども、必ず攻め取れる」と、神のみ心に信頼した報告をしたのは、ヨシュアとカレブだけでした。
 しかし、エリコを偵察したふたりは、確信をもって、主はあの地をことごとく私たちの手に渡されました。ということができたのです。
 それは、たんに、地形や城壁など見えるものへの偵察の結果だけではありませんでした。ラハブが彼らに、思いもかけない貴重な情報をもたらしたのです。
 
 主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。(9節)

 エリコの住民は、恐怖に捉われていました。戦う前から負けていたのです。
 第二次大戦中、ドイツとの厳しい戦いに直面していた、イギリスのチャーチル首相は言いました。
「勇気を失うことは、すべてを失うことである。」
 チャーチルの頭の中には、聖書のヨシュア記の「強くあれ。雄々しくあれ」があったのかもしれません。

 ラハブのもたらした情報は、まさに価千金でした。




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2011年09月03日

Coffee Breakヨシュア記10 先陣をきるもの(ヨシュア記3章1節〜8節)




 エリコから帰還した斥候は、吉報をもたらしました。エリコの王も住民も、エジプトから攻め上ってきたイスラエルのうわさを聞いて、戦々恐々としている。警戒は厳しいが、怯えきっているので戦う気力も阻喪している。きっと勝ち戦になる。
 ヨシュアはさっそく、三番目の作戦を実行に移します。最初は兵士の糧食。二番目が斥候(スパイ)、三番目は、いよいよ敵地に向かって移動することになります。
 
 ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。(3章1節)
 三日たってから、つかさたちは宿営の中を巡り、(2節)
民に命じて言った。「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。(3節)
あなたがたと箱との間には、二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」(4節)


 渡る前に、一度駐屯したのは休息のためでしょうか。川を渡る方法について、作戦会議を行ったのでしょうか。ふつうの戦記物語なら、当然作戦会議と休息で兵士達が英気を養うと言うことになります。しかし、ここが聖書の物語の独得なところです。斥候を匿うラハブの物語は大変リアリティがありますが、ヨルダン渡河は、一転、「神のわざ」の世界です。

 三日後に明らかにされた作戦は、一風変わっていました。先頭を切るのは兵士ではなく、契約の箱をかついだレビ人の祭司たちです。
 契約の箱は、シナイ山で神がモーセに命じて造らせた祭祀器具のひとつです。イスラエルの民が一定の場所に宿営している時は、中心になる幕屋のなかの至聖所に安置されています。十戒が書かれた石の板を入れていたのですから、神の臨在のしるしでもありました。
 イスラエルの民が移動するときは、主がモーセに告げられた通りに並び、順番に進むことになっていました。(民数記10章) 初めが、ユダ族の宿営の旗と軍団。二番目が、ゼブルン族。三番目が取り外した幕屋を運ぶゲルション族とメラリ族(レビ族の子孫)。そのあとに、ルベン族、シメオン族、ガド族。そのあとに、レビ人のケハテ人が幕屋に入れるあかしの箱(契約の箱)と祭祀道具を運びました。それから、また六部族が続くのですから、契約の箱は、前後を守られていたのです。


 ところが、カナン入りという大きな戦いの時に、その「契約の箱」と祭司が、先頭を行くのです。真っ先に敵の矢を受けるかもしれないのです。このような作戦は、人間の考えでは出てきそうもありません。祭司は神政政治国家の中枢です。その祭司が先陣を行く、矢面に立つことができるのは、やはり、神に信頼している証拠でしょう。
 三日間の作戦会議は、じつは三日間の「祈りの期間」だったと、私は推測するのです。

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 契約の箱と、あとに続く兵士たちの距離二千キュビトは、約九百メートルです。祭司達が伏兵に奇襲されるような場合にも、兵士はすぐに助けることはできません。
 そのような民の危惧をヨシュアは、充分承知していたでしょう。

 ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行われるから。」(5節)
 ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先頭に立って行った。「6節」


 このようなヨシュアの指導者としての態度を、神(主)はお喜びになったのです。
 主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。(7節)
 あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」(8節)


 これは大変な命令です。彼らは渡河のあと、過ぎ越しを祝っていますから、時あたかも大麦が稔る前の「後の雨」のころでした。川は乾季とは対照的に増水しています。身支度を整えた兵士ならとにかく、契約の箱をかついだままの祭司が、増水した川に入るのは危険です。
 けれども、神はヨシュアに、仰せになるのです。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。」

 預言者ヨシュアの本当のデビューとも言うべき奇跡を、神は民の前で行なわれるのです。





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2011年09月04日

Coffee Breakヨシュア記11 ヨルダン渡河の奇跡





 時は、大麦の刈入れの頃でした。イスラエルは「のちの雨」と呼ばれる雨季の直後でした。
イスラエルには、年二回の雨季がありました。最初が、麦の種まきの季節・秋。もう一度は刈入れの季節前・春です。それ以外の季節は、日本などと違ってまったく雨が降らないそうです。
 雨季直後のヨルダン川は増水しています。増水すると流れの勢いも強くなります。私も子供時代、よく川で遊びましたが、いつもはふくらはぎ程度の水がひざ上になると、流れが強くなって足を取られます。日頃は澄んだせせらぎが、梅雨や台風の豪雨の後は、濁って、轟音をたて、さかまきながら流れてくるのです。その変化に、自然のすごさを感じたものです。

 ヨルダン川は、私が遊んだ小川ではありません。屈強な兵士であっても、油断できない場所だったでしょう。
 ヨルダン川について、フリー百科ウィキペディアから、説明をお借りします。これは、現代のヨルダン川について書かれたものです。
 ヘルモン山(標高2,814メートル)などの連なるアンチレバノン山脈やゴラン高原(シリア高原)などに端を発し、途中ガリラヤ湖となって北から南へと流れ、ヤルムーク川・ヤボク川・アルノン川などの支流をあわせて死海へと注ぐ延長425キロメートルの河川である。主としてヨルダン(ヨルダン・ハシミテ王国)とイスラエル・パレスチナ自治区との国境になっている。また、乾燥地帯における貴重な水資源となっている。


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 主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。(7節)
あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」(8節)

 ヨシュアはイスラエル人に言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を必ず追い払われることを、次のことで知らなければならない。」(10節)
 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。(11節)
 今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族の中から十二人を選び出しなさい。(12節)
 全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。(13節)


 なんと、神様は、祭司たちの足の裏がヨルダン川に入ったなら、川上からの流れをせき止めようと仰せになるのです。
 この聖書箇所は、出エジプト記の葦の海の奇蹟を思い起こさせます。堤防も築かず、海や川の水を押しのけ、乾いた地面をつくるなど、人間の目から見ると物理的に不可能です。聖書の奇跡については、何とか合理的にその現象を説明しようする人がいます。ナイルの水が血に変わること、アブの大量発生やヒョウが降ってくる様子。ウズラの飛来、マナの由来まで説明しているサイトがありました。
 
 しかし、聖書をいちいち人間の理解できる尺度に還元してしまうと、聖書が面白くないばかりか、読み間違ってしまいます。
 水をせき止めるのがヨシュアならば、疑ってかかる必要があります。しかし、神(主)がそれをなさるのです。

 
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 よく似た奇跡ですが、ヨルダン川の手前にいるヨシュアと、葦の海を背にしたモーセの状況は全く違います。
 進撃できると確信を持ち、神から奇跡を約束していただいたヨシュア。
 エジプトから葦の海まで民を率いて逃げてきたものの、海で行き止まりになり、背後にエジプト軍が迫り、絶体絶命のモーセ。モーセは、引き連れてきた民に詰め寄られ、わめかれ、自分でもどうすることもできなくて、神に叫んだのでした。
 モーセの生涯には、イスラエルが国家の形になる前の指導者の苦悩が、死ぬまでついてまわりました。 一方、ヨシュアは、神の民として成長した民を率いる指導者の、安定と自信がみなぎっています。

 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水際に浸ったとき、・・・ヨルダン川は刈入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが・・・上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。(16節)





 
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