2011年09月05日

Coffee Breakヨシュア記12 十二の記念の石(3章17節、4章19節)




 人は忘れっぽい生き物です。とくに、都合の悪いことはすぐ忘れるようです。まだ、自分の生きている間は覚えていますが、二代三代と世代を重ねると、忘れてしまいます。
 それで、現代でも大きな出来事には、記念碑や慰霊碑が建てられます。広島や長崎、沖縄には、第二次世界大戦の悲劇の跡があり、記念碑が立っていて修学旅行生などの訪問地になっています。たとえ、観光であっても、原爆被災地を訪れ、また日本で唯一地上戦を経験した沖縄のひめゆりの塔を訪ねて、私たちの国で何があったのか、その後々の世代が訪れるのは、良いことだと思います。

 
 古代イスラエルの民の、出エジプトからカナン侵攻までの道のりにも、たくさんの悲劇がありました。  神がうずらの大群を宿営に落として下さった時、 肉が食べたい民は我先に貪り食い、疫病で大量の者が死にました。(民数記11章) モーセやアロンに謀反を起こしたコラの一味は、地面に飲み込まれました。また、神から出た火で二百五十人が焼け死にました。それとは別に、この事件の神罰で一万四千七百人が死にました。(民数記16章)
 何よりの悲劇は、カナンを視察した斥候たちの悲観的な報告を信じて(ヨシュアとカレブだけが信仰によって、楽観的な展望を述べました)、ほとんどの民がエジプトに戻ろうと言い出したことです。不信仰な者たちが死に絶えるまで、イスラエルの民は四十年間、荒野に止まることになったのです。(民数記13章、14章)
 なぜ、そのようなことが起こったのでしょう。出エジプト記では、神様がイスラエルの民を導き出すために、偉大な力で不思議としるしを行われておられるのに、民はすぐに、神を信頼することを忘れてしまいます。少しでも苦しくなると、神との契約を忘れて、つぶやくのです。その結果、神は一度ならず、イスラエルを捨てようとさえされたのですが、モーセが、身命を賭けてとりなしたのです。
 神、主は、不信仰を何より嫌われたのです。
 いよいよカナンに侵攻するとき、主は、主がその地でされるふしぎと奇跡を、イスラエルの民が末永く忘れないように、願われたのです。その記念に石塚を作るようお命じになります。

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 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡った。(ヨシュア記3章17節)

 民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに告げて仰せられた。(4章1節)
「民の中から十二人、部族ごとにひとりずつを選び出し、(2節)
 彼らに命じて言え。『ヨルダン川の真ん中で、祭司たちの足が堅く立ったその所から十二の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。』」(3節)

 ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真ん中のあなたがたの神、主の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。(5節)
 それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか』と聞いたなら、(6節)
 あなたがたは彼らに言わなければならない。ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」(7節)


 危険な渡河において、契約の箱が先頭を行くのは、神が先導して下さっていることを意味します。箱がヨルダン川に入るなり、流れがせき止められたのは、神の奇跡そのものです。
 いよいよ約束の地を踏みしめるその先頭が、主、神であったことを忘れさせないため、神が石を運ばせたのは、しごく当然のご命令だとも思えます。

 人ひとりが背負って運べるような石なのですから、さほど大きなものではないでしょう。それでも、小石でないことは事実です。
 十二個の石は、最初の宿営地ギルガルに運ばれました。ギルガルとは輪とか円の意味があることから、石は円形に並べられたのではないかと推測されています。
 
 主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。(18節)
 民は第一の月の十日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。(19節

 当時のイスラエルの第一の月は、いまの暦で三月から四月にあたります。




※※ このエッセイではわかりやすさを考え、特別の場合をのぞき、はほとんど同じ意味に使っています。神は英語では「God」、主は「Lord」です。ヤハウェ(ヤーウェ)は、神を表すヘブル語の音読みですが、ここでは原則として使いません。






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2011年09月06日

Coffee Breakヨシュア記13  恵みの日(ヨシュア記4章20節〜24節)





 ヨシュアは、彼らがヨルダン川から取ってきたあの十二の石をギルガルに立てて、(ヨシュア記20章20節)
 イスラエルの人々に、次のように言った。「後になって、あなたがたの子どもたちがその父たちに、『これらの石はどういうものですか』と聞いたなら、(21節)
 あなたがたは、その子供たちにこう言って教えなければならない。『イスラエルは、このヨルダン川のかわいた土の上を渡ったのだ。』(22節)


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 昨日、私は、ひめゆりの塔の史跡や原爆慰霊碑について書きました。私は、このように「過ち」を記念できる「人間」を素晴らしいと思います。
 出エジプトのイスラエルの民が、彼らの過ちを記念する石を立てたなら、いったいいくつの石が必要だったでしょう。石を立てる余裕もなかった同胞に、モーセは、神がイスラエルの民に下さった戒めとおきてを守るよう、くどいほど繰り返しました。

 主は、ヨルダン川をせき止める奇跡をされたとき、主の恵みを思い出させるために、石を立てるようお命じになりました。というのも、イスラエルの民が、荒野で多くの過ちを犯したのは、神の恵みを忘れるからでした。もし、彼らが十の奇跡や葦の海の奇跡がどれほどの恵みか、常に思い起こしていたら、あれほどの不信仰、不従順はなかったでしょう。
 神、主はそのことをよく御存じだったのです。

 恵みの時に、わたしはあなたに答え、
 救いの日にあなたを助けた。     (イザヤ49章8節)


 これは、ヨシュア記から約七百年も後の預言者イザヤの預言の一節ですが、このようなことは、イスラエルの歴史を通して、神がイスラエルの民に、繰り返しして下さったことでした。

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 恵みとは、受けるに値しない者に神様が下さるものです。努力や行動の良い結果として現れる祝福とは、違います。
 出エジプト記で神様がイスラエルの民に顕された奇跡は、すべて恵みでした。ヨルダン川でも同じだったのです。


 キリスト教会では、「恵みを数えましょう」とよく言います。不平不満や愚痴ではなく、「こんなに良いことがあったと、思い出しましょう」
 これは単に積極思考をもち、楽観的になるためではありません。たしかに、このような心構えで「恵みを思い出し」続ければ、肯定的、楽観的、積極的な思考になっていく場合が多いでしょう。とくに、恵みの本当の意味を思うとき、私たちは、心から謙遜になり、大きな愛をお持ちの神様の前で、ひれ伏すはずです。神様なら、して下さる。神様ならおできになると思って、自分の人生を「全能の神」にゆだねることができれば、どれほど楽になり、力を得ることでしょう。

 自分には、石を立てるような「恵み」は何もないと、言う方がいるでしょうか。
 でも、あなたにも、「誕生日」があるでしょう? じつに、生まれてくることほど、大きな奇跡があるでしょうか。
 いつか、死ぬのが心配!!ですか。
 大丈夫です。恵み深いまことの神さまは、永遠のいのちをも、備えていて下さるお方です。





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2011年09月07日

Coffee Breakヨシュア記14 割礼(ヨシュア記5章1節〜7節)




 そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエル人に割礼をせよ。(ヨシュア記5章2節)
 そこで、ヨシュアは自分で火打石の小刀を作り、ギブアテ・ハアラロテで、イスラエル人に割礼を施した。(3節)
 

 割礼は、アブラハム契約のしるしでした。(創世記17章) アブラハムが九十九歳の時、神・主がアブラハムと契約を結んでくださったのです。それまでにも、段階的に何度も、主は、アブラハムに彼の子孫をふやし、その子孫にカナンを与えると約束しておられました。創世記17章で、主はその契約のしるしとして、アブラハムの家の男子はすべて、アブラハムの子孫は、代々、生まれて八日目に、割礼を受けるようにとお命じになるのです。
 それで、しもべも金で買い取られた者も、アブラハムの家に属するものは、その日のうちに、包皮の肉を切り捨てられた(17章23節)とあります。

 主が、ヨシュア記5章2節で、「もう一度、割礼を」と仰せられたのは、契約更新の儀式ともいうべき意味があったのでしょう。アブラハムの子孫たちは、エジプトに滞在していた間も、ずっと割礼の伝統を維持していました。出エジプトの過ぎ越しの食事に関して、「在留異国人が過ぎ越しに加わるなら、割礼を受けなければならない」とありますから、イスラエル人はみな、割礼を受けていたのでしょう。

 ヨルダン川を渡った直後に、「割礼を命じられた」理由は、その習慣が、「荒野の四十年」の間に途切れていたからです。荒野で生まれた者には、割礼が施されていなかったのです。神がアブラハムに対するお約束を果たして下さった今、イスラエルの民も、自らの肉体に契約のしるしを刻んで、戦いに臨むのは当然でした。
 

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 それにしても、主のご命令は、ある意味で厳しいものでした。割礼は、古代の中近東、アフリカでは広く行われていた習俗のようです。
 けれども、とくにイスラエル民族にとっては、歴史を通して民族のアイデンティティだと言っても、過言ではないものなのです。通常は、生まれて八日目に施したのですが、大人になってからの施術は、大変な苦痛を伴ったようです。
 創世記には、ヤコブの二人の息子シメオンとレビが、シェケムという者が妹ディナを辱めたとして、シェケムとその一族をだまし討ちにするところがあります。結婚を申し出たシェケム一族に、それならばと、割礼を受けさせ、傷が痛んで誰も動けない時に、彼らを攻め滅ぼしたのです。(創世記34章) このような無法な所業は、結果的に、彼らの父であるヤコブとその一族を苦境に立たせることになり、ヤコブはただちに一族を引き連れて、居住地を引き払わなければなりませんでした。 

 カナンで、これから戦いというときに、割礼を施すのは危険なことでした。エリコの民に勇気があり、積極的に斥候でも出していたら、きっとこの機会を捉えて、攻めてきたでしょう。
 事実は、ラハブがイスラエルの斥候たちに告げたように、カナンの人たちは、恐怖に囚われ、戦うどころではありませんでした。

 ヨシュア記5章には、次のような記事があります。

 ヨルダン川のこちら側、西のほうにいたエモリ人のすべての王たちと、カナン人のすべての王たちとは、主がイスラエル人の前でヨルダン川の水をからし、ついに彼らが渡って来たことを聞いて、イスラエル人のために彼らの心がしなえ、彼らのうちに、もはや勇気がなくなってしまった。(5章1節)

 もちろん、主は、すべてをご存知の上で、ヨシュアに民の割礼をお命じになったのです。






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