2017年04月22日

エゼキエル書139 主が私をそこに連れて行かれると、そこに、ひとりの人がいた(エゼキエル書40章1節~5節)



 エゼキエル書40章からは、エゼキエルに与えられた預言のクライマックスになります。
 それは、きたるべき時期に回復される神殿のまぼろしでした。

 私たちが捕囚となって二十五年目の年の初め、その月の十日、町が占領されてから十四年目のちょうどその日、主の御手が私の上にあり、私をそこへ連れて行った。(エゼキエル書40章1節)
 すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。(2節)

 エゼキエルが捕囚となったのは、エホヤキン王の時で第二回捕囚と呼ばれています。BC598年・587年のことです。それから25年目ですから、BC573年です。BC586年には、ゼデキヤ王がバビロンに包囲されて、結局、エルサレムは崩壊して聖所も取り去られてしまったのです。しかし、主は、エゼキエル書37章から、主ご自身がイスラエルに敵対する勢力を取り除かれ、御霊の働きによって、主とその民との関係が永遠にゆるぎのないものとなることを示された(新実用聖書注解・いのちのことば社)のです。

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 主が私をそこに連れて行かれると、そこに、ひとりの人がいた。その姿は青銅でできているようであり、その手に麻のひもと測りざおとを持って門のところに立っていた。(3節)

 主は、エゼキエルをエルサレムに連れて行かれるのです。そこには、ひとりの人がいたのですが、この人は御使いだと註解があります。麻の紐と測りざおはともに長さを計る道具で、当時のけんちくにつかわれたものです。
 この御使いは、エゼキエルに見せる物の正確なサイズを知らせようとしていることがわかります、

 その人は私に話しかけた。「人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべての事を心に留めよ。わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。」(4節)

 こうして、彼がエゼキエルに示したのは、神殿です。
 ここから、神殿についての几帳面な解説が示されますが、しかし、これは、イスラエルの霊的回復を預言しているその証しであって、実際にこの時、存在していたのではなさそうです。

 そこに、神殿の外側を巡って取り囲んでいる壁があった。その人は手に六キュビトの測りざおを持っていた。その一キュビトは、普通の一キュビトに一手幅を足した長さであった。彼がその外壁の厚さを測ると、一さおであり、その高さも一さおであった。(5節)








posted by さとうまさこ at 10:57| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする