2017年08月22日

ホセア書27 不義が横行する時、ギブアの出来事によせて(ホセア書9章6節〜9節)



  見よ。彼らが破壊を逃れても、
  エジプトは彼らを集め、
  モフが彼らを葬る。
  彼らの宝としている銀は、いらくさが勝ち取り、
  あざみが彼らの天幕に生える。(ホセア書9章6節)

 預言者がこのような預言をしなければならないイスラエル国家の末期は、悲惨としか言いようがありません。エジプトで奴隷であった彼らの先祖が、神に叫び、エジプトから連れ出していただき、カナンに入れていただくまでの(出エジプト記〜ヨシュア記)あの神の奇蹟は何だったのかと、思わせられます。間違いの多い弱いイスラエルの民でしたが、彼等も、必死にモーセやヨシュアに従い、必死に戦ってカナンを勝ち取り、王国を立て、神殿を建設し、エルサレムに神の栄光を表わしたはずでした。
 信仰により頼めば、イスラエルの神は、世界のどの国の神々(偶像)より強いはずです。けれども、自分たちの神を捨てたイスラエルは、アッシリヤやエジプトに引かれていくことになるのです。

 〈モフ〉は、エジプトのメンビスのこと、エジプトの有名な埋葬地に一つ、イスラエルガモフのような埋葬地になることを意味している。(新実用聖書注解・いのちのことば社)

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  刑罰の日が来た。報復の日が来た。
  イスラエルは知るがよい。
  預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。
  これはあなたのひどい不義のため、
  ひどい憎しみのためである。(7節)
  エフライムの見張り人は、私の神とともにある。
  しかし、預言者はすべての道にしかけるわなだ。
  彼の神の家には憎しみがある。(8節)

 この詩文調のフレーズには、ほかの部分と同様、省略と意味上の飛躍があります。イスラエルの民は、自分たちの不義を指摘する預言者(ここではホセア)を、「狂った者」「愚か者」であるかのように無視しているのです。
 預言者は、イスラエルの民の行く手を、ことごとくさえぎるような預言をします。それは、民が神に叛いている者からは当然なのですが、それゆえ、預言者は憎まれるのです。

  彼らはギブアの日のように、真底まで堕落した。
  主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。(9節)

 ギブアの日とは、カナンに相続地を得たイスラエルの民が、互いに争い合い、殺しあって歴史の日です。(士師記19章から21章まで)そこでは、ひとりの祭司の妾が、ベニヤミンのギブアで、ならず者に殺される事件から端を発し、全イスラエルとベニヤミンとの戦が起り、ベニヤミン族が絶滅寸前にまで追い込まれたことが記されています。 
 これが、神の義による戦いではなく、堕落の果ての殺し合いであったことは事実です。

 お時間がお許しになる方は、さとうの以前の記事「士師記」を読んでいただけるとわかりやすいかと思います。

  Coffee Break士師記140〜
http://joshuacanan.seesaa.net/article/246220298.html?1503366601








posted by さとうまさこ at 10:59| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする