2017年07月26日

ダニエル書47 あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。(ダニエル書12章5節〜13節)



私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。(ダニエル書12章5節)
それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」(6節)
すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」(7節)

ダニエルは幻を見ています。捕囚という不安定な立場でペルシャ帝国でも、重用されていたダニエルですが、心には大きなアイデンティティの危機が何十年も続いていたのでしょう。自分の国から連れ出され、異教の民の間で生きて行くうえで、彼は権力や社会の潮流と逆の方向に顔を向け、毎日、エルサレムの方角に祈りをささげて来ました。
自分たちの神・主への思い、その神から特別の民として整えられ、神の使命を守り通すはずであった自分たちの国の崩壊。
預言者たちが語って来た彼等の救い主への渇望は、ダニエルにとって日ごとに深いものになっていたことでしょう。ダニエルの晩年(死の直後?)、BC538年には、ゼルバベルがエルサレムに帰還し、祭壇を築き定めどおりのいけにえを奉献しています。BC536年にはエズラによって神殿再建工事が着工され、BC516年に完成しているのです。

ダニエルは神殿再建を見ることはできなかったわけですが、むしろ彼は、焼けるような思いでさらにその先、救い主の来臨を見ていたのでしょう。

川の中の幻、亜麻布の衣を着た人は、キリストだと考えられています。

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私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」(8節)

ダニエルは熱心に主に訪ねていますが、主はふたたび、同じことを言われます。

彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。(9節)
多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。(10節)

ダニエルに預言が与えられたのは、事実でした。しかし、主は繰り返し仰せです。
 「彼に与えられた書物(予言)は、終わりの時まで秘められている。」
 それから、意味ありげな数字が与えられます。

 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。(11節)

 これらの日にち(時間)が今のカレンダーに換算してどれくらいの長さなのか、あれこれ問題にするのは、悪くない時間かも知れません。しかし、神は、ダニエルに仰せです。

 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。(12節)
 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」(13節)







posted by さとうまさこ at 13:06| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする