2017年07月23日

ダニエル書44 ダニエル書の示すもの――定めの時、終わりの時(ダニエル書11章36節〜45節)



 引き続き、「定めの時」「終わりの時」の預言が展開されています。
 漠然としているようで、大変な時代を示唆している個所です。

 ここで、昨日に引き続き、佐々木正明師の文章を、師のブログ記事「聖書を読むぞ〜」より、引用・掲載させていただきます。

 ここで、聖書の話に興味を持つ人が陥りやすい危険について、をもう一度、注意を促しておきましょう。ダニエル書には、かなり象徴的な幻などによる預言が記されているために、非常に多くの人々が勝手気ままに用いています。その多くは興味本位であるだけではなく、金儲けのための悪用です。ですから、一般の書店で、ダニエル書や黙示録の言葉がたくさん引用されているような書籍を見つけたならば、信用しないことが大切です。そのほとんど、まず100パーセント近くは、信頼の置けない怪しげな書物です。キリスト教関係の書籍とうたわれていても、ほとんどは信頼に足りないものです。まじめな学問的な態度を持った正常な頭脳の持ち主であるクリスチャンが書いたものが、もしも、仮にその中に含まれているとしたら、ダニエルの予言にしても黙示録の予言にしても、決して断定的な解釈はせず、このようにも理解できるし、あのようにも解釈が可能だという言い方になっているはずです。

 とにかく、ダニエルの預言には未来に対する予言が、象徴的な言葉で多く含まれているために、興味本位の人々が悪用するわけです。ダニエルの予言には、ダニエルの時代に起こっていたことと共に、その直後のギリシヤの世界統一とローマの世界支配、その後の世界の情勢などが含まれると共に、それらと重ねあわされたような形で私たちの時代よりさらに後に起こる、いわゆる終末の予言が含まれています。ダニエル書は自分勝手な世界観や来世観をもって、これを都合よく利用しようという魂胆で読んではなりません。まじめで専門的な学びをしている人ほど、注意深く、断定的な言い方は避けるものです。これらの予言に興味のある方は、出所の確かな、確実なクリスチャン書籍を求めることです。そうすると、決して自分の理解が唯一ではなく、こうも考えられるし、違うように解釈することも可能だと述べられているはずです。そういうわけで、ひとつの解釈にとらわれず、複数の可能な解釈を知っておくことが大切です。

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 この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。(ダニエル書11章36節)

 今どきのことばを使って、今の時代をみるだけでも、「いる。いる」「ある、ある」。このような支配者が、大声で叫んでいます。

 彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。(37節)
 その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。(38節)
 彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。(39節)
 終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。(40節)
 彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。(41節)
 彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。(42節)
 彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。(43節)
しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くの者を絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。(44節)
 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。(45節)

 ともかく、「ついに彼の終わりの時が来て」欲しいと、思うことが多いですね。すでに終末に入っているのかもしれません。







posted by さとうまさこ at 08:30| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする