2017年09月17日

ヨエル書8 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ、 (ヨエル書2章28節〜32節)



  その後、わたしは、
  わたしの霊をすべての人に注ぐ、(ヨエル書2章28節a)


 「その後」とは、イスラエルの民がきよめの集会をして、神の前に悔い改め、神に許していただき、失ったものを回復していただいた後のことです。
 主は、いなごやバッタや敵が略奪して行った物の回復に加えて、「わたしの霊」を注いでくださると仰せなのです。これこそ、神のわざですね。今の時代もそうですが、失った物、それが物質であれば、政治的配慮や人の愛のわざとしても補って上げることができなくはありません。少なくとも理屈の上ではそうです。家を失った人に家を建てて上げる、お金を失くした人にお金を差し上げる。そのように見えるものは、必要なら回復して差し上げられるのです。しかし、「神の霊」だけは人にはどうにもなりません。しかも、その霊をすべての人に注いでくださるのです。

  あなたがたの息子や娘は預言し、
  年寄りは夢を見、
  若い男は幻を見る。(ヨエル書2章28節b)

 霊を注がれた者は、神の語られることを口にすることができるようになるのです。つまり、預言するのです。夢を見る。幻を見るというのも、聖書では預言と同様な場面に使われています。
 
  その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、
  わたしの霊を注ぐ。(29節)

 素晴らしいのは、しもべやはしためにも、「霊を注ぐ」というお約束です。ここでの、しもべ、はした女は、奴隷または奴隷的な立場の人たちです。イスラエル人社会にいてももともとのイスラエル人ではないかしれないのです。しかし、身分の上下、階級の違いをこえてイスラエルに属している者は、すべて「霊を注がれる」のです。

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 この箇所は、使徒の働き2章で、五旬節の日の「聖霊降誕の出来事」として証しされています。(使徒の働き2章1節〜22節)
 このすべての人たちに聖霊が注がれるという事実こそが、新約聖書――新しい契約の要諦です。イエス様はご自分の血で私たちのいのちを贖って下さっただけではなかったのです。イエスが天に御帰りになったあとの弟子たちに、代わりに送ってくださると約束してくれた「力」でした。(ルカの福音書24章49節)

 聖霊降誕が、主を失って臆病になっていた弟子たちを勇士に変え、弟子たちの心を一致させて教会が表わされ、スタートしたのです。

 劇的な聖霊降誕が起ったあと、ペテロは、ヨエル書2章28節から32節一行目までを引用復誦しています。
 
  わたしは天と地に不思議なしるしを現わす。
  血と火と煙の柱である。
  主の大いなる恐るべき日が来る前に、
  太陽はやみとなり、月は血に変わる。(31節)
  しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。
  主が仰せられたように、
  シオンの山、エルサレムに、
  逃れる者があるからだ。
  その生き残った者のうちに、
  主が呼ばれる者がいる。(32節)








posted by さとうまさこ at 08:41| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする