2017年11月21日

ミカ書15 神のいない飢餓の世界で(ミカ書7章1節〜7節)




  ああ、悲しいことだ。
  私は夏のくだものを集める者のよう、
  ぶどうの取り残しの実を
  取り入れる者のようになった。
  もう食べられるふさは一つもなく、
  私の好きな初なりのいちじくの実もない。(ミカ書7章1節)

 ミカ書6章では、神の怒りからくる「飢餓状態」が、象徴的に描写されていました。(ミカ書6章14節15節) 私たちの飢餓には、実際の飢餓とともに、心の飢餓があると思います。「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」(箴言15章17節)と言うように、貧しさそのものは、けっして不幸ではないかもしれません。しかし、物はあるのに、飢餓感に苛まされるときもあるのです。ここでは、むしろ、そのような飢え渇きを語っているように思えます。どうしてそうなのかといえば、「世の中に悪がはびこり、神の義が忘れ去られている」からです。

  敬虔な者はこの地から消えうせ、
  人の間に、正しい者はひとりもいない。
  みな血を流そうと待ち伏せし、
  互いに網を掛け合って捕えようとする。(2節)
  彼らの手は悪事を働くのに巧みで、
  役人は物を求め、
  さばきつかさは報酬に応じてさばき、
  有力者は自分の欲するままを語り、
  こうして事を曲げている。(3節)
  彼らの内の善人もいばらのようだ。
  正しい者もいばらの生け垣のようだ。
  あなたの刑罰の日が、
  あなたを見張る者の日が来る。
  今、彼らに混乱が起きる。(4節)

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 神をないがしろにし、偽りが横行する社会では、誰も信用できなくなります。友人や親友、寝床をともにする相手にさえ、本当のことを言えなくなります。

  友を信用するな。親しい友を信頼するな。
  あなたのふところに寝る者にも、
  あなたの口の戸を守れ。(5節)

 家族の中でさえ、互いを警戒し、軽蔑し、いがみ合います。

  息子は父親を侮り、
  娘は母親に、
  嫁はしゅうとめに逆らい、
  それぞれ自分の家の者を敵としている。(6節)

 この箇所は、イエス様によって引用されています。(マタイの福音書10章21節、35節、36節)

  しかし、私は主を仰ぎ見、
  私の救いの神を待ち望む。
  私の神は私の願いを聞いてくださる。(7節)

 しかし、預言者ミカは、このような中でも、いえ、このような中だからこそ、主を仰ぎ見、主を待ち望むというのです。それは、主こそ、願いを聞いてくださる神だからです。







posted by さとうまさこ at 10:58| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする