2017年07月19日

ダニエル書40 天使ミカエルと主(ダニエル書10章13節〜20節)


 
 ぺルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をぺルシヤの王たちのところに残しておき、(ダニエル書10章13節)

 ダニエル書は、さとうには、解説書なしには読むことはできません。黙示文学が象徴している者を探るには、この時代のことばや文学への基礎的な知識が必要のようです。

 この聖書箇所については、次のような解説があります。

 主の来るのが遅れたのは、ペルシャの国の守護大使が天で主の使命に反対して、主の行く手を妨げたからである。何故なら、主はペルシャの国の崩壊を明らかにするからである。イスラエルの守護大使〈ミカエル〉が助けに来て、ペルシャの国の守護大使との戦いを引き受けたので、主はダニエルのところに来ることができた。(新実用聖書注解・いのちのことば社)

 終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」(14節)

 〈終わりの日〉は、「将来において」の意味、(同注解書)

 彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。(15節)
 ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。「わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。(16節)
 わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。」(17節)
 すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、(18節)
 言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」(19節)

 選ばれた預言者といえども、「主」を見て、力を失うのは自然なことです。
 ここで、「主」がとても具体的な存在として描かれているのは、これまでの聖書知識では理解できない気がします。
 聖書では、基本的には、「神を見た者はいない」ほどの、神々しいお方なのです。
 もちろん、主権者であられる神は、あらゆる形も、あらゆる行ないも可能ですから、非常事態で、絶対に必要な場合、絶対に必要な相手には、このように姿をあらわされるということでしょうか。

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 主は、ダニエルの「お話し下さい」にお答えになります。

 そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ぺルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。(20節)
 しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。(21節)

 実は、この箇所は、論争の対象になっているそうです。アケネメス朝ペルシャが滅びるのは、BC330年頃です。相手はアレクサンドロス率いるギリシャでした。一方、ダニエルが、活躍したのは、BC605年〜BC536年と考えられていますから、彼はなぜペルシャの滅亡と、ギリシャの台頭を知り得たのでしょう。

 これが預言者の面目躍如の箇所なのでしょうか。それとも、まだ解明されなければならない個所なのでしょうか、





posted by さとうまさこ at 13:14| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする