2017年04月18日

エゼキエル書135 終わりの年に、終わりの日に「(エゼキエル書38章10節~16節)



 神である主はこう仰せられる。その日には、あなたの心にさまざまな思いが浮かぶ。あなたは悪巧みを設け、(エゼキエル書38章10節)
 こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』(11節)

 ケバル川のほとりに居住させられていた捕囚の民が、母国イスラエルへの帰還を切望しているときに、神様はエゼキエルを預言者として召されました。
 エゼキエルの預言は、たいへんダイナミックで時におどろおどろしい場面もありますが、大局的には希望に満ちた内容です。神は、イスラエルを苦しめて来た敵をみな滅ぼし、ご自分の「選びの民」をイスラエルの山々に戻して下さるのです。
 それはまるで、死んでばらばらの骨片になっていた人骨が、もう一度たがいにつながり、筋や皮膚が付いて人体になり、そこに神が息を吹き込んで命を回復して下さる――創世記の「創造」のみわざの再現です。

 相争う古い人間たちが、元の場所に戻るだけではないのです。本当に新しくされた「神の民」を神ご自身が再創造をしてくださるので、そこでは、二つの王国に分かれて相争っていたイスラエルが統一され、そこにダビデがもう一度君臨するのです。

 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。
 わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
 わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知ろう。(エゼキエル書37章26節~28節)


 ところが、預言はここで終わらないのです。主はエゼキエルに、マゴグの地のゴグに預言をするように命じられているのです。

 多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。(略)
 あなたは悪だくみを設け、こう言おう。
 「わたしは城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう」
                 (エゼキエル書38章8節~11節)

★★★★★

 あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。(12節)
 シェバやデダンやタルシシュの商人たち、およびそのすべての若い獅子たちは、あなたに聞こう。『あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。』と。(13節)
 それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。(14節)

 侵略者ゴグに対して、神がこのような命令をお出しになるなんて、聖書読者としてなんだか信じられないような箇所ですが、これも間違いなく神のことばなのですね。

 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。(15節)
 あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。(16節)

 ただし、これらの出来事は「終わりの日に」起きるのです。
 終わりの日――終末が何故、ここで預言されているのでしょう。少し、考えさせてください。








posted by さとうまさこ at 10:53| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする