2017年11月19日

ミカ書13 神がイスラエルにしてくださったことと、それへの応答(ミカ書6章3節〜6章9節、出エジプト記20章2節)



  わたしの民よ。
  わたしはあなたに何をしたか。
  どのようにしてあなたを煩わせたか。
  わたしに答えよ。(ミカ書6章3節)

 神はイスラエルに、討論を提案しておられます。
 最初は、神の言い分です。クリスチャンとしては、すべてをお造りになり、すべての権威をお持ちの神様のことばを「言い分」と表現するのは抵抗がありますが、あくまで説明上の必要のためです。
 神は、一方的に、与えられ続けたイスラエルの忘恩の行動を思い起こさせる必要があったのです。

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  わたしはあなたをエジプトの地から上らせ、
  奴隷の家からあなたを買戻し、
  あなたの前に、モーセとアロンと、
  ミリヤムを送った(4節)
  わたしの民よ。思い起こせ。
  モアブの王バラクが何をたくらんだか。
  ベオルの子バラムが彼に何と答えたか。
  シティムからギルガルまでに何があったか。
  それは主の正しいみわざを知るためであった。(5節)

 イスラエルは、当時の世界で、神からの救いを経験した最初の民族で、唯一の民族でした。これを抑えていなければ、聖書の物語は理解できないのではないでしょうか。
 イスラエルのことを、「神の選びの民」と言うのも、旧約聖書がイスラエル民族に与えられたものである根拠も、イスラエルだけが、その時代、天地万物を創造された神・ヤーウエの「救い」を体験したのです。
 アブラハムを召しだされたのを始まりとし、カナンの飢饉に際してその子孫たちをエジプトに送り、数が増えて民族と呼べるほどになったイスラエルを、その苦難の境遇から導き出してくださったのです。出エジプトは、ひとえに神の後押しがあって可能だった出来事です。強力な権力者であるパロを屈服させるため、また臆病で信仰のないイスラエルの民を納得させるためには、人知の及ばないほどの力を見せる必要がありました。それが、十の軌跡であり、葦の海の軌跡であり、マラの水の奇跡、マナの奇跡、うずらの奇跡、メリバの水の奇跡・・、神が、立て続けの奇跡としるしで後押ししてくださらなかったら、イスラエルの民はシナイまでも到達できなかったのは、聖書に明らかです。
 その間、モーセ、アロン、ミリヤムのはたした役割は大きかったのですが、彼らを選び召されたのも神です。
 十戒の前文に、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」(出エジプト記20章2節)とある通りなのです。

 この事実の前に、イスラエルの民は何の反論ができるでしょうか。
 ミカは言います。

  私は何をもって主の前に進み行き、
  いと高き神の前にひれ伏そうか。
  全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって
  御前に進み行くべきだろうか。(6節)
  私のたましいの罪のために、
  私に生まれた子をささげるべきだろうか。(7節)
  

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 ミカは、イスラエルの民に語りかけます。預言者として、神との関係に思いを馳せ、神の代弁をするのは当然のことです。

  主はあなたに告げられた。
  人よ。何が良いことなのか。
  主は何をあなたに求めておられるのか。
  それは、ただ公儀を行い、誠実を愛し、
  へりくだって
  あなたの神とともに歩むことではないか。(8節)

  聞け。主が町に向かって叫ばれる。
  ――御名を恐れることが優れた知性だ――
  聞け。部族、町を治める者。(9節


 イスラエルの民として、何が良いことなのか。主がイスラエルに何を求めておられるのかを、簡潔に結論を述べます。それは、結局、「御名を恐れること」なのです。









posted by さとうまさこ at 08:29| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする