2017年05月23日

エゼキエル書165 千年王国におけるイスラエルの相続地2(エゼキエル書48章2節〜9節)



 千年王国の時代に、古代イスラエルの12部族の相続地が仕切り直しされているのが、なぜなのか、私にはよくわかりません。しかし、千年王国という思想自体が、黙示録やさらにそれらを解釈する神学の時代に名づけられた王国であると認識し直すことはできます。エゼキエルに預言を授けられ、幻をお見せになった主のお言葉のどこにも、「千年王国」は出て来ません。

 この預言で、主のみこころが、「救い主が再臨される時代」を示しておられたでしょうか。しかしながら、エゼキエルの理解では、捕囚からの帰還後、彼らが渇望した本来の神殿が回復される時代であったかもしれません。

 いま、聖書を読む私たちとエゼキエルが見た世界の広さと大きさが、違うとしてもそれは人間の限界として当然のことではないでしょうか。

 聖書には、説明のつかないことはたくさんあります。たとえば、神はなぜ「救いのご計画」にアブラハム(アブラム)を召されたのか。もっと言うなら、なぜ、中東地域の民に神の物語を授けられたのか。なぜ、日本人でなかったのかは、あまりにも牽強付会(けんきょうふかい)――無理に物事をこじつけること――、頭の遊びであるかもしれません。

 ★★★★★

 アブラハムの孫ヤコブに12人の息子が生まれたいきさつは、聖書に詳しく描写されていて納得できます。それでも、なぜ12人の息子なのかは不思議です。ヤコブはおじラバンの関係でレアとラケルという姉妹を妻にさせられ、その二人の間の競争心がそれぞれの奴隷女をヤコブに差し出すという形で、4人の妻をもたされたわけです。その奴隷女二人は二人ずつ息子を産みます。ダンとナフタリは、ラケルの奴隷女ビルハの息子、ガドとアシェルは、レアの奴隷女ジルバによるヤコブの息子達です。そうして、これら奴隷女の産んだ息子の子孫である部族は、相続地でもはしっこに追いやられているように見えます。
 
 ★★★★★

 ダン族は、ヨシュアの相続地分配のとき、地中海に面したペリシテ人の強い土地に入ることになりました。その結果、良い土地を求めて北上し、シドン人との国境の地ライシュで平和に暮らしていた住民を皆殺しにして、その地を占領したのです。(士師記18章27節) これが、神の目からごらんになってどのようなことだったか、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていたと、聖書は二度も記しています。(士師記18章1節、21章25節)

 しかし、この強引な相続地取得を神は認められたのかもしれなせん。エゼキエルにお見せになった神のまぼろしでは、ダンは、北端に相続地を与えられています。

 ダンの地域に接して、東側から西側までがアシェルの分。(エゼキエル書48章2節)
 アシェルの地域に接して、東側から西側までがナフタリの分。(3節)
 ナフタリの地域に接して、東側から西側までがマナセの分。(4節)
 マナセの地域に接して、東側から西側までがエフライムの分。(5節)
 エフライムの地域に接して、東側から西側までがルベンの分。(6節)
 ルベンの地域に接して、東側から西側までがユダの分である。(7節)
 ユダの地域に接して、東側から西側までが、あなたがたのささげる奉納地となる。その幅は二万五千キュビト、その長さは東側から西側にかけて部族の割り当て地の一つと同じである。聖所はその中央にある。(8節)
 あなたがたが主にささげる奉納地は、長さ二万五千キュビト、幅二万キュビトである。(9節)








posted by さとうまさこ at 11:09| Comment(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする